引越前夜に思う、地元での1年間。

僕は今、地元神奈川から茨城県への引越を目前に控えている。
その前夜、様々な思いが胸を駆け巡る。

この1年間、僕はこの地で数え切れないほどのランニングを重ねてきた。
今日は最後のお礼参りとばかりに、お世話になったコースを走った。
足を進めながら、道々の景色に刻まれた思い出が次々と蘇る。

午後からは、高校時代の友人宅へ向かった。
家具を譲ってくれるという。
到着してみると、そこにあったのは思いもよらぬ大きな食器棚。
予想以上の荷物に戸惑いを覚えつつも、あれこれ考えた末、予算を少々オーバーしてでもヤマトの家財便を利用することにした。

そうこうしているうちに、あっという間に夕方が訪れた。
家族で父の誕生日を祝う食事の席に着く。
姪っ子たちの笑顔を眺めながら、しばらく会えなくなる寂しさが胸をよぎる。

地元を離れるということは、同居する家族はもちろん、近隣に住む親戚や友人知人とも気軽に会えなくなることを意味する。
その寂しさは、かつて群馬の過疎地で過ごした日々を思い起こさせる…。

あの頃、僕は職場の人間以外と話す機会もなく、帰宅することがすなわち独居房に戻るようだった。
6年間の群馬生活は、僕にとっては一種の「懲役刑」のようなもの。
事実、僕の性格も大きく変容してしまった。
人と接する機会がないと、人間性そのものが失われていくのだ。

神奈川に戻ってからようやく、人間らしい感覚を取り戻し始めた。
誰かがいる家庭環境の大切さを痛感した。
独り言のようなつぶやきでさえ、誰かに伝わりコミュニケーションになる。
一人暮らしでは、独り言は独り言で終わってしまう。

また、この地域の特性が僕にはちょうど良かった。
人が多すぎず、少なすぎもしない。
特に、10代を中心とした若者たちの存在が、僕に良い刺激を与えてくれた。
言葉で表現するのは難しいが、彼らがこの地域にいてくれるだけで十分だった。
若者が街を歩く姿は、その街に活気があることの証だと僕は感じる。

過疎地にはそれがない。
若者を見て受ける刺激もない。若者を見て刺激を受けるということは、自分のちっぽけさを知ることでもある。

茨城で再び若者への喪失感を覚えたら、都心に出かけて自分の小ささを感じ取りたいと思う。

そしてもう一つ。
ランニングの習慣が、僕の心身の健康を維持する上で非常に有効だった。
神奈川に戻ってからは、精神的なリズムを崩すことがほとんどなく、たとえ崩しても回復が早かった。

次の住まいとなる茨城県某所は、ほぼ平地だという。
坂道を駆け上がることが容易に思えるほど、地元に鍛えられた僕の身体。
近所に丹沢山系への登山口があることも、トレイルランニング関係者にはいつも羨ましがられた。
エクストリームなトレランは行ってはいないものの、地の利を活かして山に関わるたくさんの経験は積めた。
この筋力と走力をいかに維持していくかが、これからの課題となるだろう。
定期的にレースに出場し、挑戦し続けるバイタリティを維持していきたい。

新天地での仕事と暮らしは、不安でもありワクワクもある。
群馬県での失敗を活かしながら、ていねいに楽しく前向きに暮らしていきたい。

この記事を書いた人

名無しのユータ

「読書が趣味」という訳ではないし、遅読で読解力も低い。けれど、読書を続けることでモノを考える力がやっと人並みに得られると感じ、なるべく毎日、本を紐解いている。
趣味はランニング、植物栽培など。