スマホは持たせてあげたほうが良い

若い世代、とくに小学生以上の児童・学生がスマホを持つべきか否か。
僕は断然、持つべきだと考えている。
今もたまに見聞きする「デジタル禁止」という考え方はもはや時代遅れであり、むしろ危険性すら孕んでいるのではないだろうか。

地方で行われる「アウトメディア」運動について、僕は慎重な姿勢を取るべきだと考える。
特に農村部でこれを推進することは、学生の頃から職業選択の自由を奪うようなものだ。
スマホを持たせずに外部との通信を遮断することは「農業で食え」と暗に強制することと同意であり、子どもたちの可能性を狭めてしまう。

「知りたい」と思ったことをすぐに調べられる環境は、吸収力の高い子供たちにとって明らかに有利だ。
ここですでに地方と都市部の格差が生まれてしまう。
親が使っているのに子どもには禁止というのは、単に道理が通らない。

むしろ、国際的にデジタル化が進む中で、一概に禁止するほうが国や行政の施策として不適切だろう。
「頭が悪くなるからメールを使わずに、伝書鳩やノロシでコミュニケーションを取ろう」と言っているようなものだ。
これでは時代に逆行しているとしか思えない。

ここからが最も重要な点だ。
スマホには基本的にカメラが付いている。
このカメラで撮る身近な友達たちの写真は、一生残せる宝物となる。
いわゆる「子供」の時の風景はたった18年間。
その短い期間の一瞬一瞬、ヒトコマヒトコマを、ふとした瞬間に撮ることができるのだ。

僕たちの青春時代は、ここまでカメラ機能が発達していなかった。
むしろ撮ったとしても、容量削減のために積極的に削除していた。
新しい機器が出るたびに、その写真は消し去られ、忘却の彼方へ。
もう当時の画像はどうしたって戻ってくることはない。

今の若者たちが気軽に写真を撮れること、思い出を残せることは、大きなパラダイムシフトである。
楽しかったこと、辛かったことなど、さまざまな思い出がデジタルとして残る。
そんな思い出を友達同士で共有したりする光景は、新しい文化の誕生を感じさせる。

さらにメディア容量が増大すれば、動画が写真に取って代わる可能性もある。
写真という一瞬ではなく、動画というその時の時間までも記録に残せてしまう。
しかも普段はポケットに入っているデジタルメディアで、いとも簡単にだ。

写真の共有は、プリクラが万能化したようなものかもしれない。
それは自分たちの人生の断片を、より鮮明に、より豊かに記録し、共有する手段でもあるからだ。

このように考えると、スマホは単なる通信機器ではない。
それは若い世代の記憶を紡ぎ、人生を彩る重要なツールでもある。
スマホを持たせることで犯罪に繋がってしまうおそれも大いにあるだろう。
そうした場合には、ペアレンツコントロールされた機種も選択肢に入れ、ぜひともスマホの携帯を許してあげるべきだと思う。
学生時代は学生時代にしか歩めないのだから。
それと同時に、デジタル技術を適切に活用する力を養うことこそ、現代を生きる若者たちに求められている。

この記事を書いた人

名無しのユータ

「読書が趣味」という訳ではないし、遅読で読解力も低い。けれど、読書を続けることでモノを考える力がやっと人並みに得られると感じ、なるべく毎日、本を紐解いている。
趣味はランニング、植物栽培など。