地方に「面白い人」が居ない理由

2年前、まだ群馬の過疎地でウジウジしていた頃に書いた文章を、偶然見つけた。
もしかしたらどこかに公開するために書いたのだろうけれど、すっかり忘却の彼方…。
読んで見れば面白かったのでここに載せて供養しようと思う。

自分でも驚くほど、現状の地方の課題を認識していて良く書けていると思う(笑)。
もし、地方に住み「あれ?周りに話が合う人がいないぞ!?」と思う方の一助となれば。


以前、NHKのニュースでコロナの影響によって東京から地方へ転出する人が増えたと特集がありました。
ハッキリ言ってその現象が僕は一時的なものだと考えています。
その理由は地方に、

人材がいないこと
人材が居ないから情報がないこと
情報がないから仕事にならないこと

によって、仕事にならず、東京みたいな都市部にまた戻ることになるから。

地方の限界集落のようなところに住んでしまうと、ほんとうに面白い人がいません。
僕が「面白い人」と思うのは、ひとつのテーマに対して、あらゆる角度から物事を捉えるような、クリエイティブに考えられる人のこと。
実は、そんな人が地方にはほとんどいません。
それどころか、あらゆる角度から物事を捉えることはけしからん、そんなことをを口にすることなんてまったくのご法度!みたいな風潮があったりもします。
何かモノを作るうえで、あらゆる角度から考え、ときにそれを笑いにし、ときにそれに対して怒りながら反論したり、長々と「議論めいた」ことをすることが重要なのですが、僕の住む地域でそれをやると「面倒くさい人」にみられちゃう。
この前なんか、面と向かって「神経質だ!」と言われました(笑)。

でも、どうしてそうなるのだろう。

それは、住まう地域の半径5キロ以内の情報だけで生きてきた人がほとんどなので、それ以上、ハナシが発展しないから。
つまり、住まうコミュニティ以上に思考の飛躍がない。
コミュニティ内の「世間」のハナシでしか会話が成り立たないし、それ以上の思考を伴うことは、多大なストレスを及ぼす。
これが限界集落のような、地方住民のリアルな現状だと僕は思う。

そこで思ったのは、思春期くらいの頃から「謎のバカ話」のなかにいなければ「意味はないけれどあるかもしれないバカ話」に耐えられない。
耐えられる人が地方に居ないという訳ではなくて、耐えられる人はみんな、東京などの都市部に出て行ってしまった。
面倒くさいって思われるのが面倒くさいから。

そして、「謎のバカ話」をすることがないとテーマから浮かび上がる「次のテーマ」に考えが及ばない。
あらゆる物事を話していくことで普段では考えられない程の気づきがあるのだけれど、話の飛躍がないから地方には気づきが生まれない。
だから、次に浮かんだテーマに関する情報を集めようともしない。

情報は自らが「集めよう!」と思わなければ、ほとんど向こうからやってこない。
頭のどこか片隅にでもあれば引っかかるけれど、無いのだから仕方がありません。
結果、情報が集まらない。
集まるのは半径5キロ以内の、誰がどうしたという下世話な情報ばかり。
半径5キロ以外の人にとってはクソの役にも立ちません。

当たり前なハナシだけれど、情報がなければ新しい仕事は生まれません。
ネットから拾えるじゃん!っていう人もいるだろうけれど、生身の人間から得られる情報は熱量が違います。
ゆえにだんだんと都市部で出来た仕事が尻すぼみになって、クオリティも下がるのです。

本に関しても然り。
地方では大きなデパートなんかに行かないと、新刊本だってすぐには手に入らない。
Amazonに頼るのも手だけれど、大型書店で彷徨うことではじめて見つけられる本もあるし、発見もある。
とにかく情報…多角的な情報を得るのがほんとうに難しいと地方に住んで思い知りました…。

人・モノ・コトが不足することで結局は、都市部に戻らなければならなくなるのです。
とくにクリエイティブ系は地方にどっぷり浸かると質が悪くなる。
地方発のクライアントの評価レベルもわりと低い(評価が甘い)し、次の展開が出てきませんから。

数年後、地方からの転出が多くなったとき僕は「ほれ、ざまぁみやがれ」と思うんだろうけれど、それは寂しいこと。
地方がこれからしなければならないことは、残念ながら話の発展しない地方に来てしまった人を離さないように、地元の人が面白い話を考えるしかありません。
「意味はないけれどあるかもしれないバカ話」を、コミュニティ内の情報に限らず、ベラベラと話続けていくしかありません。
そしてそんな話をできる子を、育てていくことが重要なのです。

それと、地方の人間が外部からの「ひと」や「こと(情報)」を「地元で育った人とは違う考えだから」って否定することがよくあります。
そもそも地方に住まう人数の分母が少なくなっているのに、そんな多様性のない思想で地方を維持していこうって考えがどうかしています。
結局、声の大きな人や政党のままに動いてしまい、もとの目的である「地域ならでは」の意思とは違う方向に傾く。
そして地方のこの惨状…。
自分たちで考えもせず、意見がないわりに、ちょっと「変な」外部の意見を受け入れないからこうなる。

だからポストコロナでも地方が過疎化するのは、なんら不思議ではありません。
テレワークが推進されたからといって、何も変わらない地方に来るお人好しもいません(その地域出身者は別)。
減っていった過疎地に住むことは、今後「自己責任」になってくると僕は思うから、そこからどうするのか、といことになるのです。

この記事を書いた人

名無しのユータ

「読書が趣味」という訳ではないし、遅読で読解力も低い。けれど、読書を続けることでモノを考える力がやっと人並みに得られると感じ、なるべく毎日、本を紐解いている。
趣味はランニング、植物栽培など。