仕事先で動画のこれからについて話題がのぼった。
なんだかんだクオリティ
いまやどんな媒体でも何かを伝える際には「動画」が重視される。
僕自身、本を読んでいて理解の出来ないワードや事柄はネットで検索しWikipediaを探るよりもYouTubeを当たる機会が多くなった。
昨日は「磁石はなぜ鉄とくっつくのか」という疑問が沸き起こり、いくつの動画を漁った。
疲れていれば文字を読むのは億劫だし、解説となる挿絵のない本は理解に時間がかかる。
その点、動画であれば数分の映像を観ればある程度の理解は可能だ。
なんならその視聴時間でさえ、倍速で再生すればあっという間に見終えることができる。
そして素早く、磁石の基礎的な構造は理解できた(が、謎は深まった)。
僕は今後も動画という伝達方法はなくならないし、むしろ加速度的に動画は普及すると考える。
それゆえに「動画で伝える能力」は一般人にも求められるような気がするのだ。
ところが今日、議題にあがったのは「そんな世の中で動画で食っていけるのかどうか」…。
つまり、群雄割拠の動画制作業界にあって、どのような仕事が今後も残るのだろうかという話になった。
中高生だろうが、老人だろうが、動画を撮って投稿するデバイスをおよそひとりひとりが手にする時代。
クオリティさえ脇に置けば、工夫によっては「バズる動画」を誰しもが作ることができる(可能性がある)。
ハナシの結論は出なかったものの、動画をつくる作業はある程度「必須化」され、AIなどの機械が動画を読み取り、閲覧者に提示するようになるのはほぼ間違いない。
だからこそ、万人がつくるような動画を「プロ」は制作してはいけないし、そこにこそ差別化の要点がある。
ティックトックの動画をよくみるが、スマホで撮影したような動画が続いたあと、背景がぼやけていたり、ライティングが美しく施されているものなどをみると目に留まる。
ゆえに一定のクオリティを保つことは扱える機材によっても差別化はできるだろうし、いくらスマホでも美しい映像が撮影できると言っても、小さなレンズを通して加工された映像は、嘘っぽく見える。
ほんとうに美しい映像はそれだけ金が掛かっている…と僕は思う。
とはいえ、恐るべきスピードでコンテンツが消費される時代。
どんなに美しい映像でも、内容が悪ければ「視聴者を誤魔化している」感は残る。
「ちょっと気持ち悪い」コンテンツ
このハナシをしていると、ほかに目に留まる要素としては「気持ち悪さ」があるという意見もあった。
すごく気持ち悪いというほどではなくて、ほどよく存在する「やさしい気持ち悪さ」。
巷間で言われる「クセつよ」のようなタイプの動画だ。
この点、僕も賛同する。
気持ち悪い動画は、怖いもの見たさのドキドキ感がある。
だからどんな機材で撮ろうが、中身(コンテンツ)が何かに拠る。
そもそも動画の種類はおもに、
- 何度も観るためのもの
- 一度観たら捨てるもの
の2つに分かれるだろう。
何度も見るためのものには音楽PVや映画、さらにはスポーツや作業の技術指導など、繰り返し観ることを考慮されるもの。
一度見たら捨てられるものには、犬猫動画やバラエティ番組の切り抜き、さらには企業紹介の動画もこの中に含まれる。
動画で食べていく場合には、このどれを指向して制作するかにも拠るのだろうが、「気持ち悪い動画」は案外、何度も見てしまう。
中毒性がある。
そうしたコンテンツを忌避する企業もあるだろうが、ひとが何を嫌い、そして好むのか。
おおっぴらにしないまでも、潜在的な好き嫌いは確実にある。
人気の動画にはこっそりとそのような要素が入っているよね…というハナシをダラダラしたのだった。