放課後は友達の家に…行かない子ども
他人の家に遊びに行かない
本日のヤフートピックスにこんな記事を見つけた。
実際、小学生が友達の家に遊びに行くことが減った、という調査結果がある。
2019年、厚生労働省は小学校3年生を対象に「放課後に過ごす場所」を調査し、約2万4000人から回答を得た。その結果、「放課後に友達の家に行く」は01年度に生まれた子は50・6%だったが、10年度に生まれた子では29・1%に減少したという。■お菓子やジュースにも気を遣う
その背景として指摘されたのは、働く母親の増加と、それに伴う学童保育の充実だ。しかしAさんが経験したのは土日の出来事で、多くの親は休日だろう。Aさんの実感としては「友達の家に行くな」と子どもに指示する親は増えており、公園で見知らぬ母親がママ友に「家に友達を呼んでほしくないから、自分の子どもにも行くなと言っている」と話しているのを見たこともある。
もちろん、時代が変わったといえばそれまでかもしれない。昭和なら自宅でお菓子やジュースを子どもたちに出すことは何ら問題なかったが、今はそれですらトラブルに発展する可能性がある。
「遊びに来た友達のご両親がお菓子やジュースを摂ることにどんな考えを持っているかわからない。だから簡単には出せないようになってしまいました。それこそ何らかのアレルギーを持っているかもしれない。子どもの友達が遊びに来ると、身構える親は増えているのではないかと思います」(Aさん)
引用元:「友達の家に遊びに行けない」小学生が急増中 都会に住む親が「行っちゃダメ」と禁止する理由とは? | 概要 | AERA dot. (アエラドット)
記事は、子どもが知らない友達の家に行くことを親が制限する傾向が強まっているとする内容が書かれている。
アレルギーの問題や食習慣の多様性などが理由として挙げられているが、要するに他人の子供を家に迎え入れることのハードルが高くなっているのだろう。
僕はこの問題が社会に与える影響は小さくないと考えている。
以下に述べることは僕の少ない経験のうえでの事柄ではあるが、概ね筋は通っていると思っている。
家は開放的であるべき、その理由
家は開放的であるべきだ。
空気の循環と同様、人の出入りも活発な方が良い。
僕の少ない経験でさえ、子供が集まる家とそうでない家の違いを感じていた。
多くの場合、家に人を入れるかどうかは母親の判断による。
「生活環境を知られたくない」という理由が多いが、そういった家庭は往々にして物が散乱し、昼間も雨戸が閉まったまま暗い、といった具合に精神衛生的にも良くない環境であることが多い。
鬱などの精神疾患を抱えている可能性もある。
しかし、こうした閉鎖的な環境は子どもの社会性の発達に悪影響を及ぼす。
他人との関わりが希薄になり、子どもの行動範囲が狭まる。
そして、この影響は成人後も続く。
結婚や出産のタイミングで義理の家族との関係構築に苦労したり、里帰り出産や帰省の際に関係性がギクシャクしたりする可能性が高くなる。
親世代が「家に介入せんとする他人」との関わりに慣れていないからだ。
最終的には、親族間のつながりが薄れ、家の存続さえ危うくなるのだ。
子どもの友達が頻繁に出入りする家庭のハナシ
一方、子どもを多く受け入れていた家庭は、子どもが巣立った後も地元の友人が訪れるなど、人の出入りが絶えない。
近所付き合いも活発で、頻繁に誰かを招いている。
家に客を招くには掃除や準備、コミュニケーションが必要で、これらの行動は案外体力・精神力が必要だ。
そして、家とその関係性を客観的に捉えることができる。
つまり私的な空間に公的なものが侵入するのであり、その影響を踏まえたうえで家や他人との関係性を認識するという、比較的高度な思考が必要だろう。
いわば、身体を使い、頭を使うのだ。
このような開放的な家庭環境は、親の老後にも良い影響を与える。
孤独に陥りにくく、健康的な生活を送れる可能性が高い。
子どもも孫を連れて頻繁に帰省するため、家族間のつながりが強く、家の存続にもつながりやすい。
対照的に、子どもとの関係が希薄な家庭は、将来空き家になる可能性が高い。
だからこそ、意識的に他人を招き入れる家づくり、家庭づくりが重要だと僕は考える。
他人を家に迎え入れよう
この問題は、単に子どもの交友関係だけでなく、家族の絆、地域コミュニティの維持、さらには日本の住宅問題にまで影響を及ぼす可能性があると僕は思う。
確かに女性の社会進出で、放課後の子供の世話にまで手が回らないのは理解できる。
けれども、年間にたった数日でもこうした「他人を家に迎え入れる」行為は、親世代の老後に対しても重要であることはもう少し理解されても良いのではないだろうか。
年老いてもなお、家に誰かを招き入れる…そんな人間で僕もありたい。