昭和のサラリーマンとお酒を飲んできた

年齢も2倍離れた人と酒を飲んだ。
彼はいわゆる団塊の世代よりも若いグループに入るのだろうけれど、地方から関東にやってきて高卒で大手企業に入社。
そのまま定年退職をするまで同じ会社で働いてきたという、高度経済成長の日本とともに生きてきたようなサラリーマン人生を送っていた。

そんな高齢者に類いする人を毛嫌いする若い世代が増えているのは肌感覚でわかる。
僕もそのうちの一人であると自負はしているものの、やはりおじさん(おじいさん)の話は参考になる。
というより、あまりにも世代間格差が大きくて、自分に照らし合わせることができないがゆえ、まるでファンタジーの世界を覗いているような気になって面白いのだ。

例えば、彼が誇りにしているのは、今でも会社の同期や仲間と飲む機会があること。
僕の場合、「同期」と呼ばれる人間があまりにいない。
会社に入ればほとんどが「上司・先輩」であって、まずは自分が一番の下っ端。
そのぶん、役職が上の人達には甘えることができるけれど、最後の雑用はすべて若い世代がひとりか少数で完結せねばならない。
現代の企業のほとんどがそうした傾向にあるとは思うが、同期と力を合わせて仕事をこなすことができるような現場は、それは恵まれていると僕は思う。

さらに嫁をもらった、家を立てた、子供ができた、子どもの成長と進学の悩み…などは全くの別次元にきこえる。
共通するのは親の介護くらいだろう。
はたまた当時の企業は、若手にあらゆる経験をさせ、かつ教育の場も設けていたことは、ものづくりに携わっていたそうした世代の人に良く聞く話でもある。
彼も同じように某大学で講義を受けていたとか、企業内研修があったとか、人材に対して莫大な投資を行っていたことが窺える。
そしてそうした場で、多くの出会いもある。

ところがどっこい。

年を追うごとに「品質が大切だ」と会社が考えるようになり、商品の「バグ」をゼロにする「バグゼロ宣言」を行うことに苦心するようになった。
ひとつでもバグがあれば客先で迷惑がかかるので、時間をかけてあらゆるテストを行い、いかに時間と予算、人的リソースを投入して開発を行うかが次第に重視されたそうだ。
なるほど。
聞けば聞くほど、日本のものづくりが凋落していったのか、現場サイドからも理解できる。
当時は資金的な余裕があったのか、はたまた為す術がなくそうした雑務に時間を費やすようになったのかは定かではない。
しかしいま、中国製のパソコンでこの文章をタイプするにつけ、やはりどこか間違いはあったのだろう。
そうした同じ轍を踏まないためにも僕は「参考になる」と思うし、「面白い」と思う。

とはいえ、こうした世代の、活発に働いていた「個人」が好きだ。
いつでも気持ちが前向きだし、日本の一分野を切り開いてきたという自負と誇りを今も大切に持っている。
ゆえに時代は違えども、現在の似たような困難をどのようにクリアしていったのか、聞けばしっかりと教えてくれる(多少のお説教は覚悟せねばなるまいが…)。
鬱になったら(服薬も大事だが)身体を動かして治した!など、僕も大いに賛同するところだ。

そしてさらに、地域の課題などいまも困難と向き合い、現状を打破しようともしている。
然るにそうした活力が現役世代と衝突することもあり得るし、僕らにも譲れない部分はある。
だが、家に引きこもり、無駄な保険料を消耗するよりも元気に外で動いてくれる高齢者は大切にするべきだろう。
僕らができないことを担ってくれているのだから。
何より、僕のような若い人間を誘って酒屋に連れて行く…っていう発想も客観的に見ると突拍子もなくてスゴイ(笑)。
僕も、そんなアクティブな高齢者になりたいと強く思う。

この記事を書いた人

名無しのユータ

「読書が趣味」という訳ではないし、遅読で読解力も低い。けれど、読書を続けることでモノを考える力がやっと人並みに得られると感じ、なるべく毎日、本を紐解いている。
趣味はランニング、植物栽培など。