仕事とランニングの好循環は確実にあると思う

農業の仕事を辞めてからかれこれ4カ月が経とうとしている。
精神的にネガティブになり、なんとなくこのまま落ちていくことになる…といったことは意外にも、ない。
むしろ頭が冴えて、文章を書くアルバイトも現役並みの能力に戻ってきたし、次の目標が見つかったりと、農業の仕事をしているときと変わらずモチベーションは高い。

その理由は何かと考えたとき、真っ先に思い浮かぶのは「ランニング」だろう。
ランニングが精神的に僕を支えていくれている。
今年の2月から山を走る「トレイルランニング」などに挑戦し、少しずつ距離の長い大会に出場している。
先週も「甲州アルプスオートルートチャレンジ」という甲州市の山々を55㎞走る大会で、なんとか完走も果たした。
そして12月には「伊豆トレイルジャーニー(ITJ)」という伊豆半島の山々を70㎞走る大会が控えている。

これらは僕にとっての目標であり、通過点でもある。

前職である農業の会社に入ってからは、こうしたひとつひとつの目標をつぶしていくような仕事にはあまり携わることができなかった。
1日1日のルーティンをこなし、つねに年配の従業員についていくだけの仕事ばかり。
惰性の連続。
家に帰れば、スーパーで買った弁当と酒、酒、酒…。
怠惰な生活が災いし、運動不足による急性の難聴を発症し、体重も10キロ以上太った。

あらゆる動機がきっかけとなり、いつしか走り出した。
この頃の話は以前、ブログに書いた。

そして今日、SNS上でこんな投稿を目にする。

ランニングを続けているが、仕事にいい影響を感じたことがない…

というものだ。
僕には好循環を感じたことが、多くある。
印象深いのは仕事をテキパキ進め、走る時間を捻出したい…だから仕事を素早く終わらせる、というもの。
結果、農業の会社では設立以降、こんなにも早く仕事が終わったことがないと社長が言うほど、猛スピードで仕事を進めることができた。

その根底にあるのは、目標だ。
当時の僕は、増える仕事量と消化しない雑務に辟易していた。
次のレースは日時が決まっているのに、走る練習時間を、のんびりとした仕事に費やされることに苛立ちを感じていた。
そのうえ、必要のないムダな業務や、生産性をわざと下げるような非効率な作業が火に油を注ぐ。
実際、極端に休みがなく、長距離を走ろうと決めていた休日が出勤に変わる。
仕事だけの日々を積み重ねていくことで、走力・体力ともに衰えているのが自分でも分かっていた。

仕事中の僕はいつも不機嫌だった。
恐らくは不安の裏返しだろう。
決めた目標はやり遂げるという性格も災いしていたようにも思う。
けれど、仕事での結果は出た。
部下も上司も回せるだけ回した。
僕も周囲はいつもピリピリとした空気が流れ、雑談も少なくなっていった。
そして僕はとうとう、上層部と決定的な言い争いを起こし、仕事を失った…。

職探しをしているいま、こうした過去をあまり後悔はしていない。
反省するべき点は多々あるが、良い経験になったとも思う。

そして重要なのは、それでも余暇を見つけて走り続けていたことは幸いだ。
走ることができていなければ、もっと破滅的な行動に出ていたかもしれない。
つまりは走ることでストレス管理を行い、多少なりとも気分の浮き沈みを調整できていた。
だから、どんなに怒鳴られようとも罵られようとも、さほど偏桃体への影響はなかった。

定職に就いていない今でも、僕は走り続けている。
寒くなってきた昨今、家を飛び出すのは億劫ではあるが、無理にでも外に出る習慣をつけておかないと、今後の社会生活に響くだろう。
さらにいえば、農業の会社でつけてきた「基礎的な体力」もなるべく落としたくはない。
ふいに思えば、仕事をしていた時よりも走ることができるため、体力を維持しているどころか、増しているようにも感じる。

ランニングは僕にとって、好循環となり得る。
仕事を変えるからといってこの趣味を失いたくはないし、継続できる方向で動いている。
ランニングを習慣化出来て、心の底から良かったと思っている。

この記事を書いた人

名無しのユータ

「読書が趣味」という訳ではないし、遅読で読解力も低い。けれど、読書を続けることでモノを考える力がやっと人並みに得られると感じ、なるべく毎日、本を紐解いている。
趣味はランニング、植物栽培など。