健康増進型社会はすぐ目の前?

健康増進型保険という新しい概念を知った。
この社会システムは、単なる保険の枠を超えて、私たちの生活様式そのものを根本から問い直す可能性を秘めているように思えた。

医療費の高騰は、もはや社会全体で無視できない問題となっている。
健康が個人の自己責任として位置づけられつつある現代において、健康増進型のサービスは急速に拡大しつつある。
例えば、血糖値が低ければ映画が500円引きになる…といった具合に、健康が直接的な経済的メリットと結びつくなどが考え得る。

僕自身、過去に幾度となく体調を崩し、外科手術を経験してきた。
その度に痛感したのは、医療費の高さである。
突然の出費は家計を直撃し、長期的に見れば虫歯の治療費など、累積すれば想像以上の金額に達する。
日頃からの健康管理の重要性は、もはや自明の理と言えるだろう。

しかし、健康的な生活を送れるかどうかは、個人の意思だけでは決定できない。
長時間労働に苦しむ労働者にとって、運動や健康管理の時間を確保することは極めて困難だ。
皮肉なことに、低賃金で厳しい労働環境にある人々ほど、質の高い医療サービスを受けるためには高額な対価を支払わなければならない。
一方で、時間と資金に余裕のある層は、こうした健康増進サービスの恩恵を享受できる。

健康には明らかに「対価」が発生している。
今後の社会情勢を見据えれば、低収入を理由に不健康な状態を放置することは許されなくなるだろう。
喫煙者への社会的圧力は増し、不健康な食生活はますます忌避される。
睡眠時間の確保さえも、医療費抑制の観点から精査の対象となりつつあるのではないだろうか。

ウェアラブル機器の発達により、個人の健康状態はリアルタイムで計測可能となる。
最悪の場合、健康的でない生活を送る個人に対して何らかのペナルティが課される可能性すら考えられる。
不健康な生活が社会に害を与えるとされれば、そうした生活サイクル自体が社会から排除される運動に発展しかねないからだ。
ただし、先天的な疾患は絶対的にそこに含まれるべきではないし、僕はその潮流には断固反対する。

果たしてこれは「自由」と呼べるだろうか。
おそらく、それは「不自由」としか形容できないだろう。
しかし、国民が互いに監視し合う社会においては、個人の自由よりも国家の財政、つまり「カネ」が優先される。
強制的に健康的な日常を送らされる社会。
僕らはまさに、「健康増進型社会」と呼ぶにふさわしい新たな局面に突入しつつあるのかもしれない。

この記事を書いた人

名無しのユータ

「読書が趣味」という訳ではないし、遅読で読解力も低い。けれど、読書を続けることでモノを考える力がやっと人並みに得られると感じ、なるべく毎日、本を紐解いている。
趣味はランニング、植物栽培など。