某過疎地では水道を封鎖する公園が多かった

水道が使えない公園だらけ

水道水を飲めない子どもたち

先日、こんな記事を読んだ。

橋本さん:都内の小学校の教員などから「水が飲めない子どもが増えている」といった話を聞きました。熱中症の疑いで保健室を利用した児童の様子を見ていると、水が飲めない子どもが目につくという観察結果があったそうです。熱中症の症状が出ている子どもに水を渡しても、「水が嫌い」と、唇を濡らす程度にしか口に含まない場合もあるとのことです。その話を聞き、いくつかの学校にヒアリング調査を行ったところ、各クラスに2~3人は水を飲めない子どもがいることがわかりました。  

── こうした子どもたちは、水をまったく飲まない、飲めないのでしょうか?  

橋本さん:そうです。「水は味がしないから苦手」という子もいますが、これまで水を飲んだことがない子もいるようです。こうした子どもは、ふだんから家庭でもジュースやスポーツドリンクを常飲している場合が多いです。学校の先生の話によれば、親御さんから「うちの子は水が飲めないから、スポーツドリンクを持たせます」と、言われる場合もあるとのことです。  

── 家庭での習慣も大きく影響しているのですね。  

橋本さん:そうです。子どもだけでなく、家庭の中で親もジュースやスポーツドリンクで水分補給している場合が多いようです。この件をNHKのラジオで話をしたことがあるのですが、大きな反響があり、水が飲めない子の親御さんから「食事中にジュースを飲ませるようになってから、子どもが水を飲みたがらなくなった」という声が多かったです。

引用元: 水が飲めない子どもが増えている衝撃「味がしないから苦手」クラスに2、3人もいる|CHANTO WEB

家で水を与えないから、子どもが水を飲めない…。
さらには、コロナ禍での感染防止のため水道水の蛇口から水を飲むことを禁止されたり、あるいは熱中症の増加で「スポーツドリンク推奨」が「水を飲んだらいけない」と認識されてしまうことがあるという。

この話題には、そのほかに親が水道水はマズいとか、体に悪いなどと言い、積極的に(子どもの自主性を制限して)子どもに飲ませないことも理由のうちにあるのではないかと僕は思う。

水道がことごとく封鎖

今回はこの件に言及はしないが、水道にまつわる話を思い出したから書こうと思う。

群馬県のとある過疎地に住んでいたとき、ランニングコース上に「公的な水道」があるポイントがいくつか存在していた。
ところが、その半分は蛇口の「ひねる部分」が取り外され、飲むことができなくなっていたのだ。
はじめは「凍結防止策かな?」と思っていたが、真夏でも水道の利用は禁止。
炎天下の中でフラフラになりながら水道を探し回った記憶がある。

人口減少、特に少子化によって公園が減少したり荒廃したりする問題は、日本の多くの地域で深刻化するだろう。
これは単に遊び場が減るという問題だけでなく、コミュニティの中心地が失われるという意味でも大きな損失だ。
水道の「蛇口」が外されるという現象は、特に過疎地では顕著になるだろう。
確かに、税金を支払う利用者が減れば維持管理のコストが相対的に高くなる。
しかし、そこで安易に「封鎖」という選択をすることに僕は疑問を感じるのだ。

水道水をタダで飲める幸せ

水道はコモンズ(共有資源)であるべきだ。
だが、現実には自治会の特定の人の意見で決定されてしまうことが多い。
これは民主主義の観点からも問題があるし、多様な利用者のニーズを無視することにもなる。
水の出しっぱなしや、部外者に使わせることが税金の無駄という意見もわかる。
けれど、そこにはもっと柔軟な解決策があっても良いはずだ。
例えば、一定時間で自動的に止まる仕組みを導入するなど、技術的な対応も可能だろう。

水というコモンズが行政や自治体に「囲い込まれる」という表現は的確かどうかは分からないが、これは、公共空間や公共サービスの私有化とも言える現象のように僕は思う。
結果として、コンビニや自販機の飲み物を購入することになり「水を飲む」ことの費用が膨大となる。
これは過疎地に住まう人々をさらに「逃げ出させる」要因になりうるだろう。
だって、水道が自由に使える自治体とそうでない自治体のどちらが住みやすいかといえば、前者に決まっているから。

公園などの水道水を無料で飲ませてもらえる地域は、幸せだ。

コモンズの維持を考える

この問題を考えると、いくつかの重要な点が浮かび上がってくる。

  1. 公共資源の管理と個人の自由のバランス:コスト削減は重要だが、それによって市民の自由や生活の質が損なわれてはいけない。
  2. 意思決定プロセスの民主化:特定の人々だけでなく、多様な利用者の声を反映させる仕組みが必要。公園などの水道はその小さな地域の住民だけが利用者ではない。
  3. 技術的解決策の模索:単純な「閉鎖」ではなく、効率的で柔軟な管理方法を考えるべき。
  4. コミュニティの維持と個人の自由の両立:小さな社会でも、個人の趣味や生活スタイルが尊重される雰囲気づくりが大切だ。
  5. 過疎化対策としての公共空間の重要性:公園や水道などの公共施設は、地域の魅力を高め、人々を引き付ける要素にもなりうる。

水道水を飲まない子供がいるということは、水道を封鎖することに激しい反対が起こらなくなる可能性もある…。
むしろ、コモンズとしての水道がなくなったとき、まるで「公衆電話」のように「そういえば、あそこの水道、見なくなったね」みたいに、いつの間にか撤去されてしまうのだろうか。

僕ら市民ランナーにとっては、この猛暑の中を爽快に走るには水道水は必要不可欠。
水道水が使えないのは死活問題だと思う。
しかし、水道水がなくとも「それでも走る」のも、これまた市民ランナーの性ではある(笑)。

この記事を書いた人

名無しのユータ

「読書が趣味」という訳ではないし、遅読で読解力も低い。けれど、読書を続けることでモノを考える力がやっと人並みに得られると感じ、なるべく毎日、本を紐解いている。
趣味はランニング、植物栽培など。