なんのためにブログを書くのか不明だよな。

この「読書ブログ」にランニングネタを混ぜているが、これは正しいのだろうか?と思うようになった。
読む側としては、別々にした方が良いのではないだろうか?と。
このような疑問を抱えながら、運営方法を見直す時期に来ていると感じる。
ブログは既に読まれないことが前提となっているため、炎上しにくい媒体かもしれない。
ゆえに書きたいことを書き連ねることのハードルは低くなっているとは思うが、いっぽうで自己満足に終わりかねない。
そしていずれAIの養分になるだけだろう。

最近、ランニングを通して地域の移り変わりを発信しているブロガーを見つけた。
その人のブログはライフログ的な形でおよそ10年以上運営されており、しかも毎日のように発信されている。
読者にとっては、どこで何を食べたか、どこを走ったか、どんなイベントがあったかなど、日々の生活が細やかに描かれており、楽しみの一つになり得る。
このように、地域に根差したコンテンツは生きてその場所に住んでいる限り、ネタに困ることがない。

何よりも重要なのは、長い期間にわたって投稿し続けていることが信頼につながる点である。
AIでも連日の投稿は可能だろうが、投稿者の「顔」や「人間味」を感じさせることができるだろうか?
読者が共感を覚えるのは、その人の体験や感情が文章に表れているからである。

TwitterでもFacebookでもInstagramでも、長い期間に渡って「付き合い(フォロー)」をしている場合、その人の思考や嗜好が見え、親近感が湧くこともあれば、嫌悪感を抱くこともある。
ブログは「文章(あるいはそれに付随した画像)」によって個人の思考を吐き出したものであって、その内実は他のSNSと変わりはしないのかもしれない。

で。なんといってもブログは「文章」が主体だ。

AIを使えば、キーワードを羅列するだけである程度の文章は構築できる。
これにより、文章を書く側にとっては時短につながるかもしれない。
しかし、その結果、投稿者の持つ「味」が文体から消えてしまう危険性がある。
AIにプロンプトを入力すればある程度の「味」は保たれるかもしれないが、読者側から「これはAIが書いたものだ」と見抜かれる可能性もある。
読者との信頼関係を築くためには、やはり人間らしい感情や個性を文章に込めることが重要だろう。

結局は薄っすらとでも「顔」がみえる投稿をし続けることが、ブログの正攻法なのかもしれない。

この記事を書いた人

名無しのユータ

「読書が趣味」という訳ではないし、遅読で読解力も低い。けれど、読書を続けることでモノを考える力がやっと人並みに得られると感じ、なるべく毎日、本を紐解いている。
趣味はランニング、植物栽培など。