深いハナシは不快なハナシ?

お世話になっているデザイン事務所の社長さんと、またグダグダと喋る。

僕が群馬県の山間部に移住したときの話だ。
その地域には、深いハナシをする人は少なくて、とても現実的で日常的な会話を好む人が多かった。
深いハナシとは、たとえば近未来の技術や、世間を騒がせているニュースから社会を読む…みたいなもの。
といえば格好が良いけれど、「なんで額にち〇ち〇がついていないのか」とか「マズいラーメンを出されたときの対処法」など、どうでもいいこともそれにあたるだろう。
これらは何故かことごとく毛嫌いされ、すぐさま話題を変えられた。
もっともひとつの単元の話題を、あらゆる方向からいつまでも喋りつづける…ということがない。
神奈川に居る頃は周りにそうした話題を好む人が多かったせいか、群馬にもいるだろうと考えていたのが甘かった。
僕の周囲にはひとりも存在しなかった。

…という話を、これまたあらゆる角度で考える。
結論は「そうした思考をぐるぐると回転させる人が都市部へ流れ、先進的な解決策が採られないからこそ、地方部は衰退する」ということに落ち着いた。
つまり、面白い人が地方部には居ないよねってことだ。

そもそも僕は決して、上記のような「面白い人」ではない。
突飛な考えもなければ、どちらかといえば消極的で当たり障りのない解決策を好む。
そして、ポジティブではなくネガティブ思考の悪循環タイプだ。
悪循環に物事を考え、しかもそれが深いところにまで及ぶ。
逆に言えば、今後起こり得る「悪い部分」がなんとなく的を得ていて、だいたい当たる。
ゆえに僕と会話をすると相手は相当疲れるのも、申し訳なく思う。

そんな僕もとうとう神奈川に帰ってきた。
群馬に居るころとは比較にならないほど、多くの人に会い、話をしている。
群馬では一切話題にのぼらなかったChatGPTのネタやTicTokの先進性などを気兼ねなく俎上に載せられるのは、だいぶ嬉しい。
やはり、自分の考えていることと、他人の思っていることを相対してすり合わせられるのは、都市部に在住するメリットだろう。
ひとりでうじうじ考えているよりも、思考の整理が各段に上がったように思う。

それに。
話が深くなればなるほど、発せられる熱量…というか興奮みたいなもの、あれはなんだろう?(笑)

この記事を書いた人

名無しのユータ

「読書が趣味」という訳ではないし、遅読で読解力も低い。けれど、読書を続けることでモノを考える力がやっと人並みに得られると感じ、なるべく毎日、本を紐解いている。
趣味はランニング、植物栽培など。