街で走る僕を見かけた人から「昨日、見たで!走っているのを」と報告を受けることがある。
そのあとに決まって「なんで走ってるんだい?」と尋ねられることもある。
そのたびに僕は「太ったから」とか「運動不足だから」などと、その場しのぎに近い返答を繰り返し、あやふやなままにやり過ごしてきた。
ふとしたあいまに、どう答えるべきかを思案する。
死のうと走っていた、が僕の中での正答だろう。
確かに、走る前の僕は太っていた。
クルマ社会である群馬に移住してからというものの、歩くことは減るいっぽう。
地元である神奈川県に居た頃は、朝から夜中まで働き詰めだったがゆえに、仕事後の空き時間をどう費やせばよいのか分からなかった。
そして行き着いた先は「食べる」こと。
仕事が終われば、まずは食べる。
柿ピー、スナック菓子、アイス、チョコレート、それから晩御飯にはカレーライスに納豆ご飯…。
そこにストロング缶チューハイがお茶代わりに加わるのだ。
これで太らないことのほうが、不健康だろう。
そんなある日。
目覚めると、左耳に水が詰まったような聞こえ難さを覚える。
診察を受けると、両耳とも聴力が下がっていた。
聴力検査を終え、示されたデータをみながら医師は「突発性難聴だね。最近、仕事かなにか頑張ってるの?」と僕に訊いた。
思い当たるふしは、ある。
医師によれば、薬を飲めば治るが、再発する病気であること。
再発させないためには適度な運動と、ストレスを溜めないことが重要とのこと。
だが、僕には理解できなかった。
ストレスを溜めないとは、どういう事を言うのだろう。
生きている以上、何もなくてもストレスは溜まる。
それどころか、ストレスを防御しようとすればするほど、他者との意思疎通が疎かになる。
何を隠そう、最大のストレス要因は対人関係にあるのだから。
そしてもっともストレスフルなのは、自ら好きで選んだ仕事にも起因する。
簡単に辞めることなんて出来ない。
さらに追い打ちをかけたのは、同時期に恋人にフラレたことだ。
もとから遠い存在だったものを、気持ちだけでも近くにあろうとして互いに負担になっていた。
最後は彼女の親が死んで、本当は僕がそばにいれば良いものを生活環境やらを言い訳にして、支えることが出来なかった。
彼女の精神状態がズタボロになったまま、僕はフラレたのだ。
人として、男として、言い表せない不甲斐なさと罪悪感に、毎夜潰される。
そんなとき、鏡に写った自分を見て心底驚いた。
中年男性の、欲にまみれた醜態が脂肪に成り代わり、身にまとう。
本能の赴くままに身を追いやれば、いつの間にやら怠惰な心身そのものが、体型として現れていた。
今までの僕の選択や行動のすべてが失敗に思えてきて、何もかもを捨てたいと考えるようになる。
そうだ、小さく死のう、と思った。
気がつけば思いのままに近所を走っていた。
あいつがムカつく。
こいつがムカつく。
何より、自分がムカつく。
疲れるとか、筋肉痛だとか、後のことは考えない。
とにかくどうでもいい。
やり場のない怒りと不安と苦しみを自分にぶつける。
これは自殺なんだ。
夢中で走るのを誰かに見られても、ムカつくだけだ。
これは自殺なんだ。
とにかく走る。
そして、とにかく走った。
息ができないほどに呼吸が苦しくなり、脚が重たい。
もう動けない。
膝に手を付き腰をかがめ、襲ってくる吐き気をどうにか回避しようとしている自分がそこにいた。
僕はそんな醜いそいつを、なんだか愛おしく感じた。
苦しい、助けてって。
自殺してるのに。
家路につき、ドアを開けた瞬間、そこに晴れ晴れとした僕の存在を、僕は認めた。
たぶん、脳内で何かしらの神経伝達物質が分泌されていたのかもしれない。
ストレスを貯めることは回避できなくとも、発散する術はあるのだと、その時気づいたのだ。
それから僕は、事あるごとに「緩やかな自殺」をするようになる。
いつしか「緩やかな自殺」がルーティンになって、むしろ自分を傷つけないままに、つまりは楽しい状態のままに走るにはどうすればい良いのか…に重きが移るようになった。
いまは「緩やかな自殺」に身体が慣れ、更に大きな負担となる「鍛錬」を求めるようになった。
ある種のストレスを自ら追い求めるのだ。
これはもはや「自殺」ではなく、未だ見ぬ何がしかの「芽生え」に僕は水を与え始めている。
走るようになって変わったのは、そんな小さな「芽生え」を少しずつ、大きな物に変えること。
そして、どんな木になるのか、どんな花が咲くのかは想像もできないが、生きて伸びることを僕は期待している。
走ることをはじめて1年ほど経ったころだろうか。
親族が自殺した。
遺書もないゆえに、なぜ自らの命を絶ったのか、僕ら遺族には知る由もなかった。
悲しみに暮れる家族を見て、心底、馬鹿だなと思ったのと同時に、骨壷を抱えたときのそのあっけなさに驚いた。
僕の「緩やかな自殺」は明日になれば再スタートを切れるけれど、ほんとうの自殺はそれで終わりだ。
「緩やかな自殺」を誰かに薦めることはしない。
しかし、僕にとって、あのときにその術をなしたことは、間違いではなかった…のだろう。
なぜなら今もまだ生きているから。
不可逆的な思考の悪循環が、僕の走るスピードにまだ追いつかないでいる。
竹原ピストルの「オールドルーキー」には、こんな歌詞が綴られている。
何度でも立ち止まって
また何度でも走り始めればいい
必要なのは走り続けることじゃない
走り始め続けることだ
いまはまだ走っている。
それでもいつか、走ることを辞める時が来るだろう。
飽きたり、体調を崩したり、忙しくなったり。
それでもまた走り出せる人生であれば。
これが僕の走り出したきっかけ。
誰かに説明しようとも、難しくて、難しくて。