農業と自らのマーケットバリューについて考えてみる

いま僕は6年4ヶ月間勤めた会社を辞め、転職活動をしています。
仕事を辞めて職を探しているので「転職活動」ではなく「就職活動」と呼ぶべきかもしれませんが。

正直、自分の過去を自ら評価して他人に売っていくこの活動がどうも苦手です。
そもそもこの活動を好きだとする人はそう多くはないでしょう。
つい先日もハローワークへ相談に行きましたが、屠殺場の牛のごとく流れ作業で処理されている感が否めませんでした。
重要な活動ではあるからこそ、腰を据えてじっくりと話をしたい…のですが、担当者もコロコロと変わる。
結局は自分で考え、動くことでしか解決しないと思い至ったのです。

そこで本書を手に取りました。
北野唯我氏の「転職の思考法」です。

アマゾンの転職部門で上位に表示されるこの本、転職を考えた頃から手元にはあったのですが、まだその時期ではないと積読のまま放置。

この状況のさなか、いざ読み始めると面白いこと。
ストーリー形式で物語は進行し、主人公の辿る転職活動に感情移入しながら読み進めることができた。
なかでも驚いたのは、前職での「悪い部分」が、転職先としてダメであると如実に言及されていたことです。

農業は「生産性」を高める必要性がない?

転職活動で絶対にやっていはいけないこと

以下の2点を目にした瞬間、まさしく前職の業界・会社であると感じました。

  • 生産性が低くて、成長が見込めない産業で働くこと
  • 10年前と同じ商材を販売し続ける会社

前職は農業系の会社に勤めていましたが、農業は社会的に問題となるほど生産性が低い。
そもそも農業において生産性を高めることとはすなわち農産物の生育スピードを早めることに等しく、それは現代の技術をもってしても難しい。
ならば他の面で補うことは十分に可能ではあるものの、農家には「手作業で丹念に」作業しなければ良い農産物が作れないというマニュファクチュアなマインドが存在するのです。
そうした思考を一概には否定しないものの、価値観によって停滞することがすべてにおいて足を引っ張り、いまや日本の農業は破綻寸前です。
そこに来て昭和と変わらない技法で、昭和と変わらない品目を生産しているのだから、根は深い…。

なぜそのような考えに至るのか。
重要なのは、一定の農産物が収穫できれば、次の1年を凌ぐことができる…というサイクルにあります。
このサイクルを綿々とつなぐことは農家にとって最低条件で最上の至上命題であって、この達成目標を変えることは非常に困難なのです。

農業にとって変わらないことが至上命題

なぜか。
結論から言えば、一定の収量を確保できなければ、それは集団の「死」を意味するから。

農業には人手が必要で、自分の担う労働によって集団での生存権が確率される。
「働かざる者食うべからず」とは、働かないとコミュニティの維持が不可能であるからこそ生まれてきた言葉であると僕は認識しています。
そのうえで、一定の収穫があり、来年も安定した収穫をも見込めることこそ正義であると農家は考える。
それ以下を求めることは死に繋がり、それ以上を求めれば失敗の可能性が広がる。
つまり、退くも進むも死へと繋がるがゆえに、集団を維持できる範囲内に収穫が見込めれば、現状を維持することが最適解なのです。
このマインドセットになるのは、農家にとっては至極当然で、ゆえに農業にとって「変わらない」ことは本能なのです。
そうした達成目標は先祖代々、脈々と受け継がれ、いつしか新しい農法や技術を取り入れることはもはやご法度であり、集団から阻害される恐れのある一種の「恐怖」と成り代わった…と僕は考えています。

こうした農業起源の経緯は、以前記した「農業は人類の原罪である」を読むと理解が深まるかもしれません。

裏を返せば農業はラクな仕事です。
一定の収量が確保できれば変わる必要がないのだから、それ以上に発展する理由もない…。
僕のような木偶の坊にとっては、非常に性の合う仕事であり、かつ日常的に肉体労働をこなし、健康でリズミカルな生活を送れたことはプラスでしかありませんでした。

ただし、年々その「収量」の確保が難しくなる上に、農業を取り巻く環境の変化も激しくなっています。
自然環境も予想を超えて収量に変化を及ぼし、我が国は人口減少にくわえ、高齢化。
これまで糧にしていた消費者の層が縮小し、購買力すら衰え始めてきたのです。
つまり、つくっても売れないのです。

自らの「マーケットバリュー」を高められない

本書を読んで痛感したのは、まさしく次の部分。
自分の「マーケットバリュー」を高めることができなかったのです。

「マーケットバリュー」について、本書では、

いいか。君に必要なのは、まず、自分のマーケットバリューを理解することだ。マーケットバリューとは、市場価値のこと。市場価値とは、その名の通り、今の会社での価値ではなく、世の中からみた君の価値、君の値段だ。

引用元:このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法

とあり、地方の一農家の農作業だけをしているだけでは、自らのマーケットバリューを高めることすらできません。
農業とはある種、職人気質の仕事も多く、経験年数が経たないと触らせてもらえない業務も多い。
「水やり3年」という言葉もあるとおり、僕も退職するまで主要品目の水やりはできませんでした。
この点に関しては、話が込み入ってしまうのでまたの機会に置いておいて、そのくらい年功序列が厳しく、上の層は自らの仕事を独占し、手放そうとはしません。

「イエ」という血筋が重視されるコミュニティに入る点でも、農業界でマーケットバリューを高めることは、農家の子息以外にとっては、非常に難しい…というのが現実です。

成長する業界に転職する

ならばどうするのか。
本書で言及されているのは「成長する業界に転職する」とあります。
農業に限らなくてもあらゆる職業はあるわけで、無理に農業に拘る必要もない。

ただし、農業でも伸びている業種はあると思う。
本書に記されている「伸びるマーケットを見極める方法」は、

  1. 複数のベンチャーが参入し、各社が伸びているサービスに注目する
  2. 既存業界の非効率を突くロジックに着目する

とあります。
この項目に照らし合わせて考えてみれば、たとえば植物工場や移動販売の八百屋…などでしょうか。
特に人材不足が深刻な地方部よりも、ある程度人手に余裕のある地方都市において、このような産業は今後も増えていくと僕は見ています。
さらに地方のように無理な働き方を強いれば、働き手は堰を切ったように辞めていきます。
他にも仕事があるのですから。
農業だから生き物の世話だからと「労働基準法の適用除外」を振りかざしていては、日常生活が破壊されます。
労働者にとっては地方よりも条件の良い求人が増えるのも頷けます(母数は少ないですが)。

活躍の可能性を考える

次に印象深かったのがこの部分。

「そうだ。 そして、現段階のマーケットバリューが低い君は、とくに『活躍の可能性』を見たほうがいい。そもそも私は、成長できる環境がいいとか言う人間が嫌いだ。20代ならまだ 許せないこともない。だが、30代以降にとって、成長とは間違いなく自分の力で掴むもの だ。だからこそ、自分が活躍できるかどうかを厳しく見極めろ。結局、成果を出しているやつにおもしろい仕事は来る。とくに30歳以降はな。具体的に言えば、面接の場では次の三つを聞くのがいい」

  1. 「どんな人物を求めていて、どんな活躍を期待しているのか?」
  2. 「今いちばん社内で活躍し、評価されている人はどんな人物か? なぜ活躍しているの か?」
  3. 「自分と同じように中途で入った人物で、今活躍している人はどんな部署を経て、どん な業務を担当しているのか?」

「この三つを聞いたうえで、自分が社内で活躍できるイメージを持てたらOK。反対に持て なければ、活躍できる可能性は低く、結果的に転職後に苦しむ可能性は高い。覚悟が必要だ」

引用元:このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法

まさしくそのとおりだと思う。
自らのマーケットバリューを高めることが難しい農業界において、親族以外に活躍している人材が存在すること、その人がどのような立場なのかを事前に把握することは重要です。
そのほとんどが「長く勤務しているから必然的にそうなった」という結論になる可能性も秘めていますが、なぜ「長く勤務できているのか」もこの業界にとっては必要なことだと思います。
家族のように関係性が近くなってしまう小さな事業者が多いゆえ、どのような人物を求め、どのような社風なのかはチェックしなくてはならないと感じます。

視野を広げる

これらの経緯を踏まえ、以前お世話になっていた会社の社長に相談したところ、

  • 農業なんて野菜・酪農・花を問わず、八百屋だろうが農協だろうが農業は農業だろ。あまり固執するな
  • 仕事で怒るやつよりも、黙って仕事するやつのほうが使いやすい
  • 自分で農地を借りたほうが「活躍の可能性」は広がるんじゃないか

とアドバイスを頂きました。
あらゆる転職メディアの担当者さんとお話をしても、結局は「仕事を絞れ」という返答に尽きます。
自分が何をどうやりたいかをもっと考えろ…と。
どうも僕はその場その場でサバイバル的に仕事を得てきた人間であるため、働いてから様子をうかがい、そこから自分にできる仕事を選んでいくフシがある。
だから社長から言われた「固執するな、視野を広げろ」という言葉は、僕にとっては大きな激励となったのでした。

衰退する産業に転職しても意味はあるのか

さて、長々と僕の現状を書いてきましたが、今後、農業という産業に身をおいて、勝算はあるのかといえば…。

僕は「無い」と思っています。

我が国の農業は技術的にあらゆる国に置い抜かれ、世界的にみてもとことん生産性は低くなるはずです。
輸入に頼っていたリンなどの肥料さえも滞る。
そして困り果てた政府は、機械で問題を解決することなく、数の少ない「若手」を地方の農地に送り込み、強制的に働かせる、いわば「徴農制」という手段に打って出ると僕は考えています。

その過程で慣行栽培の農家の持つ農地を合理的に集約し、効率化を図るために過疎地の住民を疎開させ、大型の農地に再び「開墾」する。
すなわち、自前で機械も作れない、輸入もできないからこそ、若い人材を数年間、働かせるのです…。
ゆえに合理的に働き、生産性を伸ばせている企業でなければ、大きな力によって消滅させられるような気がしてなりません。

だからこそ、勝算がない。
ただし、ある程度の収量を保てている事業者は別なのでは?とも思います。
僕はその間隙にある小さなチャンスにもうしばらく、賭けてみたい…。

【紹介した本について】

カテゴリー 読書の記録タグ 労働転職農業著者 北野唯我形態 単行本出版社 ダイヤモンド社発行年 2018年初版年 2018年Cコード 社会科学総記経営

この記事を書いた人

名無しのユータ

「読書が趣味」という訳ではないし、遅読で読解力も低い。けれど、読書を続けることでモノを考える力がやっと人並みに得られると感じ、なるべく毎日、本を紐解いている。
趣味はランニング、植物栽培など。