愛着の湧いてしまった自作の椅子

僕が自らの手で作った椅子がある。
かれこれ18年も前のことだ。
当時の僕は、まさかこの椅子を実際に使うことになろうとは思いもしなかった。
なぜか。
椅子なんて当然買うものだったし、自分で作ったものが「椅子」として機能するとは思ってもみなかった。
ところが、パイン材で簡素に組み上げただけのものだったから、軽くて扱いやすい。
座り心地は特別良いわけではないが、かといって悪くもない。
そんな中途半端な存在だった。

それでも、なんだかんだと使っているうちに、椅子は僕の生活に溶け込んでいった。
塗装を施していなかったため、年月とともに経年変化が起こり、木肌がうっすらと茶色みを帯びてきた。
背もたれには手垢のようなものが付き始め、それが不思議と愛着へと変わっていった。

今では座面の綿テープがほころび、正直なところ使い物にはならない。
だが、僕はこの椅子を手放す気にはなれない。
どうにか自分で修理しようかと目論んでいるところだ。
今月末には引っ越しを控えているが、この愛着ある椅子をどう活かそうか、楽しく悩んでいる。

家具の中でも、椅子は長く使えるものだ。
むしろ、長く使うために作られた椅子も多く存在する。
壊れるたびに修理をしながら使っていく…というのが、本来の使い方だろう。
ところが最近は、ビスや釘で打ち付けただけの、簡素な作りの椅子が多く出回っている。
購入時の価格は安い分、その耐用年数はあまり考慮されていないのではないだろうか。

身体と密に接するような椅子に、直接、接合のための部品が当たるのは理解に苦しむ。
とはいえ価格がしっかりしたものは「ダボ」などで繋ぎ合わされていて、しかも頑丈だ。
椅子1脚に50,000円以上を出す勇気は僕にはないが、一生使えるものであるのなら、その出費はそこまで高いものだろうか…そんなことを考えてしまう。

特に名作と言われる椅子は、座り心地の良いものもある。
…というのは冗談で、実験的に視覚を重視したような椅子は、なるほど座り心地が悪すぎるものもある。
椅子は実際に自分の目で確かめて、自分の尻と腰で確かめたほうが絶対に良い。
食事をするとき、スマホをみるとき、なにか作業をするとき、日常生活のなかで使用する時間は、以外にも短くはない。
そして、修理の効く椅子が断然「愛しやすい」と僕は思う。

そんなこんなで、18年前に作った椅子がこれからどう変貌を遂げていくのか。
椅子との付き合いは、まだまだ続きそうである。

この記事を書いた人

名無しのユータ

「読書が趣味」という訳ではないし、遅読で読解力も低い。けれど、読書を続けることでモノを考える力がやっと人並みに得られると感じ、なるべく毎日、本を紐解いている。
趣味はランニング、植物栽培など。