絶版後、プレミア価格がついてしまい、容易に買える本ではなくなってしまいました。
長らく読みたかったのですが、ついに読むことができました。
農業は人類の原罪である
環境に手を入れてコントロールすること
僕ら人間は、ある日突然、農業をはじめたわけではありません。
周囲の自然を生活に取り入れながら旧石器時代の祖先(四万年前)が少しずつ「原農業」をはじめていた。
ところが、人類が生きていくためには仕方なく手を出した農業は、手を出したが最期。
人口を保っていくためには農業を継続しなければならなくなり、まるで呪いのように人類には農業という苦役がまとわりついている。
という著者(コリン・タッジ:以下著者)の遠大な「仮説」が続いていくのです。
まず農業の本質とは環境に手を入れてコントロールし、その操作性や生産性を高めることにあると著者は説きます。
その行為に共通する3つの活動として、
- 園芸
庭いじり(ガーデニング)が基本的な形であり、最初の段階は個人レベルで植物を育てる活動 - 耕作
土地を全体的に砕き、生えている植物を取り除くがゆえに白紙の状態から植物を育て始める活動 - 牧畜
伝統的なやり方では耕されることのない土地で牧草を家畜に食べさせる。次から次へと移動しなければならない活動。現代では牧草をも品種改良されている。
を挙げています。
オーストラリアのアボリジニは農業をしていなかったとされていますが、オーストラリア国立大学の人類学者ライス・ジョーンズは「火の棒農業(Firestick farming)」をしていたと答えます。
草原の草を焼き払うことで、新しい芽が生え、それを求めて動物がやってくる。
動物を移動させる手段のほかに、動物に必要以上のエサを与えることにもなっている。
調理に火を使うだけでなく、獲物の管理にも使われていたのではないか、と…。
「原農業」はいつから現れたのか?
こうした農業にちかい「原農業」はいつ、どのように生まれてきたのでしょう。
著者は原農業がはじまったのは約4万年前に遡るとみています。
化石人類学者が最初の集団として注目しているのはどうやら、四万年前の後期旧石器時代の人々のようだ。彼らははっきりとそれまでとは違う新しいやり方を取り入れていたのである。変化に富んだ何種類もの道具を作るようになり、その形も洗練されたものになり始めていた。洞窟の壁に絵らしい絵を描くようにもなり、それはあっと言う間に非常に水準の高いものになっていった。こうしたことからわかるのは、彼らには意識の転換があり、技術を意図的に進歩させてきたこと、そして前の世代がしていたことをただまねするわけではなかったことだろう。さらに、気まぐれな思いつきではあるが、それでもなお理にかなっていると思えるのは、このときに同時に、真の意味での農業があるいは少なくとも原農業が生まれたということである。 我々が「農業」と呼ぶことができるようなものがこの頃に始まったわけではなくて、自分たちの行なっていることが農業だと、はっきりと意識したのがこの時点なのである。
引用元:農業は人類の原罪である (進化論の現在)
(中略)
重要なのは、この変転が起きた時を正確に捉えることではないだろう。事実上二〇〇万年にも及ぶ歴史を通じて、人類は一般に理解されている意味での狩猟·採集者にすぎなかったわけではない。利用できる食物を増やそうと、常に様々なやり方で環境を操作していたのである。
この仮説の次なる部分。それは、農業がたとえ「原初的」、つまりある環境からより多くの食物をまんまと取り上げるための営みがその場しのぎみたいにたまたま集まっている、という状態にすぎななかったとしても、である。それを行なう巣団は個体数を増やすという生態系のうえでの大成功を収めるし、一方でそれを行なわない集団や種は、壊滅的な打撃を受けるということである。そして、これから考えていくように、四万年前に人類がはじめて意識的に農業を始めたという仮説は、多くのその他の重要な観察事実ともうまく合致しているように思われるのである。
農業への意識の変遷に伴って周囲にある環境を操作し、適度に食料を確保することで個体数を増やしていった。
続いて旧石器時代後期の原農民がフルタイムで農業に精を出していたかといえばそうではなく、狩猟採集の傍らで、趣味的に行っていたのではないかと説きます。
であれば、食料となる獲物がなくなったときにはその地に踏みとどまることができる。
移動するリスクを低く抑えることができるのです。
ネアンデルタール人を絶滅に追いやったのは何故か
ところが人間は農業という術を見つけても、狩りをやめることはなかった。
それは何故でしょう。
驚いたことに実際、人間以外の動物でも、狩りによって自分の力量のほどを示すことがあるのである。たとえば鳥では、オスがメスに何らかの死体をブレゼントして気をひこうとすることが多い。人間にしたところで、狩りで得たとっておきの獲物でもって、女(もしかしたら”交尾”をOKLてくれるかもしれない) に、いや実のところ部族の全員に自分をアピールしているのだろう。さらに、その動物が珍しかったり、獲るのが難しいとわかっていれば(特に、大きいとか危険であるとか)、その頭を持ち帰った人物は当然のことながらますます大きな栄誉を得ることになるのである。こんなふうに人間の男はおのれの勇気を示すために狩りを行ない、それがために多くの動物を絶滅に追いやったのかもしれない。
引用元:農業は人類の原罪である (進化論の現在)
子孫を増やすことにおいて人は、嬉々として獲物を狩った。
その結果、多くの大型動物を絶滅に追い込んでしまい、ますます食料を確保することが難しくなる。
そんなときに起こったのが「ネアンデルタール人」と「クロマニョン人」の対立。
前者は狩猟採集を行い、後者は比較的環境を操作しより多くの食糧を得ることのできる「現農業」が行われていたのではないかと著者は仮説を立てます。
そうすると、クロマニヨン人とネアンデルタール人の衝突は、効率的なハンターと非効率的なハンターとの単なる対立に留まらなかったのだ。そこにはもっと本質的なこと、農業集団対狩猟集団という構図が隠されていたのである。ここでボイントになるのは、農業集団は狩猟集団に比べて効率的で多くの食物を産み出し、子孫を効率的に増やすことだけではない。重要なのは、北米に最初に進入した人間がマンモスを狩ったためにサーベルキャットが被害を受けた如く、農業集団が狩猟集団の獲物を減らしたために、狩猟集団は姿を消したということなのである。
引用元:農業は人類の原罪である (進化論の現在)
結果、狩猟採集をメインに行うネアンデルタール人の食糧を、狩猟も農業も行うクロマニョン人が奪い取ってしまった。
今から約3万年前、ともに数千年間おなじ時間を過ごした人類は、片手間でも農業を取り入れることが生き残りの分岐点になってしまったのです。
ただ、農業を行うことはメリットばかりではありません。
農業という食糧を継続して得る術に人類は手を付けたが最期。
農業をひたすら続けなければならないというパラドックスに苛まれてしまうのです。
ところが農業とは、一言で言えば、環境を操作し、作り出される食物の量を増やすことである。土を肥やせば収穫量は増加する。いや、わざわざ土を肥やさなくても、目当ての植物や動物の競争相手になるものを取り除いても、生産高を増やすことができる – 草を取り除くなどして作物を保護するのである。食べ物の量が増えれば、もちろん人口も増加する。 そうなると、当然のことながら、農業を行なっている者は自分たちがらせんをなす悪循環に陥っていることに気づくだろう。農業をすればするほど人口が増え、そうするとますます農業に精を出さなければならなくなる。増えた人間を食べさせていける方法は農業しかないのだから。
(中略)
農業はあまり楽しくないものかもしれないが、ひとたび規模が拡大すると、もう後戻りはできなくなる。人間は何千年もの長きにわたって、趣味のように農業を営んでいたと思われるが、それはおそらく、ある場所で数年間農業を続けたらそこは打ち切り、どこか別の場所を見つけるというようなものだっただろう。さらに、片手間に農業も営む人々は、獲物の量が少ないからといって即、人口が抑制されるわけでもなく、狩りにだけ頼って生活している人々よりもはるかに効率がよかったに違いない。
しかし、農業を営み、人口を増やし、狩りをして野生動物を取ろうとすれば、大きな痛手を受けずには済まされない。実際、更新世に途方もない数の動物が絶滅したのは、少なくとも一つには、彼らを絶滅に追いやった人々が農業をも営んでいたからだと思われるのだ。そして結局、ネアンデルタール人が絶滅したのも、これと同じ理由によるのではないかと私は考えている。
引用元:農業は人類の原罪である (進化論の現在)
片手間で農業を行っていたからこそ、多大なる動物を絶滅に追いやったという仮説。
人口も増えれば食料を確保するためにより一層、農業に精を出すことに…。
農業は人類に課せられた「ノルマ」だ
そして今から約一万年前、最後の氷河期が終わると原生人類に何が起こったのか。
北や南の陸地にあった氷の塊が解け、海水面が上昇。
農業をしていた人類は高地へ移動せざるを得なくなるのです。
そこでいよいよ、本格的に農業に打ち込むことになるのですが、たまたまそこには大麦や小麦があったと著者は見立てます。
中東ではじまったとされる農業はそんな幸運にも恵まれましたが、やはり過酷であり、苦労するもの。
著者は最後にこう述べています。
新石器革命は農業の始まりを示しているのではない。それが示すのは、片手間に行なう、狩猟・採集のおまけのような農業が、環境の変化と必要性に迫られてノルマとしての農業へ変化したということである。以来、人口は指数関数的に増加し続けた。一万年前に世界の人口は八〇○万人ほどだったと考えられるのが、紀元前後には一億人から三億人の間に、そして西暦二〇〇〇年頃には六〇億人に達していると思われる。
引用元:農業は人類の原罪である (進化論の現在)
しかし、今こそ我々は、この指数的な人口増加がこの先どれくらい続くのだろうかと疑問を投げかけてみなければならない。さらに言えば、今や、アベルを殺したカインに象徴されるような頑固さや愚かさ、勤勉さ、つまり新石器時代の人間とその子孫を成功に導いたやり方、そういうものがこれからもずっとふさわしいかどうか問い直すべき時でもある。我々の遠い祖先の狩人は、ライオンと同じように、あくせくとは働かなかったに違いない。我々はそういう祖先からこそ学ぶべきではないだろうか。
農業という技術を手に入れたおかげで人口は増えはしたものの、フルタイム労働で食料を生産せねばならなくなり、その人口を維持するためにまた、環境を制御しなくてはならない。
壮大な人類史の中でみれば、「人間、ちょっと働き過ぎじゃない?」と警鐘を鳴らしているようにも感じます。
感想
「食べること」に思いを馳せる
農業がいつ始まったのかという論争の前に、少しずつはじまっただろう「原農業」に光を当てた部分が興味深いです。
いかに地力がある肥沃な土地でも、農的な技術がなければ食料を得ることができません。
当たり前のように僕らは「食べて」いますが、本来は「食べる」前の「つくる」ことが厳然と存在しています。
ところがわが国では年々、「つくる」ことがあまりにもないがしろにされ、「つくる」ことを旧い産業かのように虐げられ、若者もそんな職に就こうとはされません。
もう少し、そんな「つくること」にも思考を巡らせても良いのではないかと思う今日この頃。
たった100ページにも満たない薄い書籍で、価格も低い。
にもかかわらず、いまは絶版し、プレミア価格で取引されています。
ゆえになかなか手が出せず、長く「読みたいリスト」に保存されていましたが、読んでよかったです。
理論はおおむね著者の仮設です。
農業の起源はおよそ1万年前からではないかと一般的に言われていますが、それでもこの書籍を読み通せば、古代の人類はどのようにして食物を得ていたのかをうっすらと俯瞰・理解できます。
読了後には「いやいや、確かにそうだよな」と思うこと必至。
昨今では新たな農業技術が取り入れられる一方で、果たして農業の機械化がそこまで進んで良いものだろうかという懐疑的な論調も多く聞かれます。
僕は余暇時間が増えるのなら、働きづめの農業に先端技術を投入すべきだと考えています。
特に生産年齢人口の減少が世界一低くなる我が国では。