「聖書」とは無縁だった
僕は池上彰さんの書籍をよく愛読している。
わかりやすい解説と幅広いトピックの取り扱いが、僕の知的好奇心を刺激してくれる。
そんな中で最近手に取った「聖書がわかれば世界が見える」は、特に印象に残る良書だった。
僕たちが暮らす日本は、建前上は無宗教国家だ。
実際には仏教的な慣習が生活に根付いている一方で、キリスト教に関する知識や関心は薄い。
そう言われてみれば僕自身、学校の授業でキリスト教について詳しく学んだ記憶がほとんどない。
よく考えてみると、宗教全般が触れにくい話題(ダブー)として扱われ、どの宗教や宗派についても深く教わることはなかった。
そのため、僕を含む多くの日本人は、ある程度の年齢を重ねてから、これらの知識を得ることになるのだろう。
しかし、西洋の歴史を紐解く上で、キリスト教の知識は非常に重要だということを僕は今更ながらに気づきはじめた。
それがあるとないとでは、歴史の解釈の解像度が大きく変わってくる。
最近の出来事、例えば2022年の安倍晋三元総理襲撃事件や、ウクライナ侵攻に始まる世界情勢を理解する上でも、キリスト教に関する基本的な知識がないと、十分な理解が難しい…。
僕の職場では、後輩の一人がプロテスタントであることから、キリスト教徒の日常生活に興味を持つようになった。
彼は昼食前に数分間祈りを捧げ、日曜日には欠かさず礼拝に参加する。
最初は少し奇異に感じたが、次第にその行為の意味を理解するようになった。
また、西洋美術を鑑賞する機会があった時、キリスト教をモチーフにした作品も多い。
ちょっとした知識でも頭の片隅においてあれば、作品の解釈が全く異なってくる。
正直、もっと早い段階でこれらを学んでおけば良かったと後悔しているところだ。
本書の内容
この本では、第4章からキリスト教の歴史が詳しく解説されている。
それまでの章では、聖書の内容が初心者の僕にも分かりやすく説明され、頭の中にあった断片的な知識が徐々につながっていく感覚があった。
旧約聖書と新約聖書の違い、イエス・キリストの生涯など、これまで曖昧だった概念が明確になる。
4章から9章にかけては、現代に至るまでのキリスト教の成り立ちや重要な出来事、問題点が追究されている。
ここでは、ロシアとウクライナの戦争や、イスラム教徒との確執なども解説され、現代の国際情勢への理解も深まった。
特に印象的だったのは、宗教改革の影響力の大きさだ。
マルティン・ルターから始まった改革によって、ヨーロッパの政治構造や思想に与えた影響は計り知れない。
当たり前のように扱われ、信じられていたものが、その効力を失っていく。
日本も敗戦の際には同じような場面に遭遇した国民もあったのだろうが、こうした地殻変動はこれからの歴史にも起こるのだろうか…。
ただし、キリスト教の分派、特に「正教会」に関する部分は複雑で難解だった。
ロシアとの関係性が絡み合う様子が詳細に説明されているがゆえに、かえって理解を困難にしているようにも感じた。
東方正教会と西方カトリック教会の分裂、そしてその後の歴史的経緯は、僕にとってはまだ整理しきれていない部分がある。
正教会については、さらに勉強を重ねていきたい。
トランプ元大統領の襲撃とキリスト教
2024年7月13日、アメリカのトランプ元大統領が演説中に銃撃され、耳を負傷するという衝撃的な事件があった。
この事件自体も驚きだったが、それ以上に僕の関心を引いたのは、トランプ氏がカルヴァン派であること。
カルヴァン派は「予定説」を信じるプロテスタントで、この教義が彼の政治姿勢や世界観にどのような影響を与えているのか、興味深いところである。
これは、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という著作に通ずるという。
ウェーバーは、プロテスタンティズム、特にカルヴィニズムの倫理観が近代資本主義の発展に寄与したと論じていて、この視点から見ると、トランプ氏の経済政策や、彼を支持する人々の価値観にも新たな解釈ができるのではないだろうか。
本書には「プロ論」の要約として以下のように解説がなされていた。
- 資本主義の「精神」とは、アメリカのベンジャミン・フランクリンに代表される ように、時間を無駄にせず勤勉で誠実であるというものだ。
- 職業を表すドイツ語の「ベルーフ」とは、もともと神から召命されて(呼ばれて) 与えられた使命という意味がある。これは宗教改革以後に生まれた言葉だ。
- カルヴァンの予定説では、救済される人間は、あらかじめ決められている。したがって、人間の努力や善行の有無などによって、その決定を変更することはできない。ところが人間は、神の意思を知ることができない。したがって、自分が救済されるのかどうかをあらかじめ知ることはできない。
- 善行を働いても救われるとは限らない。また、自分が救われているかどうかをあらかじめ知ることもできない。選ばれていなかったら自分は地獄に落ちて救済されることはない。このように予定説は、人間にとって恐るべき考え方だ。人々は 恐怖を感じるだろう。そこから逃れるために、人々は、「神によって救われている人間ならば、神の御心に適うことを行うはずだ」と考えるようになった。「神の御心に適う」とは、天職に就いて成功することだ。
- こうして人々は、贅沢や浪費をせずに、利益は再投資して会社を大きくしていく。 もし利益を上げて浪費すると、それは、地獄に落ちることが決められているからだろう。結果、禁欲的な職業倫理が生まれた。
- それまでのキリスト教社会では金儲けは決して評価されなかった。ところが禁欲的なプロテスタンティズムによって、天職を得て必死に働いた結果、「利潤」を得るのであれば、それは、その労働が神の御心に適っていることの証左になる。
- より多くの利潤を得るためには、寸暇を惜しんで勤勉に働かなければならない。 こうして厳格な時間管理の意識も生まれた。
- もともとはカルヴァン主義の予定説による考え方から生まれた「資本主義の精神」 だが、本人たちには宗教的意識は希薄になっていっても、勤勉な「資本主義の精神」が後に残った。
この要約を読むと、トランプは今回の襲撃により「自分が神に選ばれし存在」であることを一層強く認識することだろう…とも受け取れる。
これは過去に、作家の佐藤優氏も同様のことを発言している。
同志社大学大学院神学研究科を修了した佐藤氏は2017年1月26日、新党大地主催の月例定例会で、次のように語っていた。
「カルヴァン派の場合、神によって選ばれる人は生まれる前にあらかじめ定められている、と考える。本人の努力は一切関係ない」
「そうすると、試練にすごく強くなる。どんなにひどいことに遭っても、負けない。どうしてか。神様が与えた試練なので、最後に勝利すると決まっていると考える。そして、問題はどういう勝利の仕方なのか、と考える」
そして、トランプ大統領については「自分は神様に選ばれたときっと思っている」と分析していた。
佐藤氏は最近でも、雑誌「プレジデント」2020年7月17日号の寄稿の中で、「トランプ米大統領の信仰する長老派の特徴は、打たれ強いこと。その代わり、負けを認めず、反省しません。新型コロナウイルスや人種差別反対デモへのトランプ大統領の対応は、俺は間違えていない。だからやり方を変えないという態度です。強い信念はカルヴァン派の思考の特徴ですが、そのマイナスの面が出ていることを感じます」と指摘している。
引用元:トランプ大統領が敗北を認めない最大の理由(高橋浩祐) – エキスパート – Yahoo!ニュース
大統領選に向けてより攻勢を強めていくものと僕は思うし、メディアの言う「温厚な論調に変わるだろう…」という予測は僕は外れると思う。
今日にはバイデン大統領の不出馬も報道があったが、トランプは「神の加護」によって猛勢をかけるはずだ。
それが教義に基づく重大な信念である以上、手を抜くことは出来ない。
このように、キリスト教の知識は、現代社会を理解する上で欠かせないものとなっている。
政治、経済、芸術、そして日常生活に至るまで、その影響は広範囲に及んでいる。
池上さんの本は、そのための優れた入門書として、僕のような初学者にとって貴重な一冊だ。
世界の約3分の1の人々が信仰するこの宗教を理解することは、グローバル化が進む現代において、異文化理解の重要な一歩になるだろう。
そして、それは同時に自分自身の価値観や世界観を見つめ直す機会にもなるはずだ。
宗教は時に対立や分断の原因となることもあるが、その本質を理解することで、逆に人々の相互理解や平和への道を開くことができるのではないだろうか。