ITJ(伊豆トレイルジャーニー)という伊豆の山中を70km走る大会が今週末に控えている。
そんななか、10代の頃からお世話になっているバドミントンクラブへ無性に行きたくなった。
理由は「筋肉を動かしたい」から。
バドミントンには特殊な魅力があって、ランニング同様老若男女が楽しめるスポーツだ。
同等のレベルであれば同等の強度で対戦でき、両者ともにミスも多くなれば長いラリーはほとんどない。
つまり、一定程度、身体を動かすことができれば勝手に試合は終わって、気がつけば勝った負けたの「おまけ程度」の試合結果を得られる。
僕の信条上、バドミントンは「ゲーム」であり「遊び」だ。
別に勝ち負けに拘るつもりはないし、そもそも僕はバドミントンが下手だ。
身体を動かせて、数時間後に訪れる「適度な疲労」と、今日も楽しむことが出来たといった「達成感」を得られればそれでいい。
むろん、勝てば嬉しいのではあるが、勝つために張り詰めた空気の中で試合を継続することは、なんのためにスポーツをしているのか僕の理念に当てはまらない。
そうした理解のない対戦相手とゲームを行うと、非常に疲れる。
そう、「ガチ」のプレイヤーだ。
例えばダブルスで同じペアになると、ミスを犯せば申し訳ない気持ちになるし、対戦相手になれば舐めたプレイ(舐めプ)や真剣勝負そのもので笑いひとつないこともある。
バドミントンへの意気込みや信条は人それぞれで構わないのであるが、利害が一致しなければ、精神的なダメージは大きい。
ところが、ランニングは自分との勝負だ。
仮にも同じ環境下でライバルに相当するランナーがいたとしても、自分のミスは自分の責任であり、他人の責を負う必要は殆どない。
「ガチ」のランナーとて同じであって、「対戦」しているわけではないので、さほど対人的な精神疲労はない。
そこまで僕が走ることに対して、シリアスに捉えていないから…というのもあるだろうが。
むしろトレイルランニングの大会に出れば、周囲のランナー同士で励まし合い、全員が苦しみもがいている中で勇気をもらえる。
「ナイスラン」の一言で、どれだけの一歩を踏み出せたことか計り知れない。
ランニングという趣味に出会い、大会に出たことによって少なからず人生経験に幅が広がった。
付け加えたいことはもうひとつ。
ランニングは走る環境と距離さえ選択すれば、使う筋肉はだいたい変わらない。
バドミントンになると、イレギュラーな筋肉を駆使するために、練習終了後に違和感をおぼえることが多々ある。
その分、筋肉を使えるために「鍛えられた」実感はあるものの、大事なレースを控えているときは自重しなければならないだろう。
結論、走り始めるのも走り終わるのも、全て自分で起承転結できる「ランニング」は、楽しい。