コミュニケーションを変えただけで仕事が楽しくなるワケないでしょ?

仕事が苦痛なのは「仕事が楽しくないから」

楽しくするためには「コミュニケーション」を!?

東洋経済に掲載された、岡本純子さんの記事を読んで、朝から僕は開いた口が塞がらなかった…。

仕事を楽しいものだと思い込んではいけない、まじめに働くことが美徳であるという風潮が日本にあるのは理解できます。
けれど、記事のタイトルにあるような「日本人が世界一、仕事が苦痛と感じる根本理由」はなんなのでしょう?
全文を読み通してみましたが、僕には「根本理由」にあたるものが見当たりませんでした。
恐らく著者は「仕事が楽しくないから仕事が苦痛だ」と言いたいのでしょう。
「仕事が苦痛」なのは、「楽しくないから」という理由だけではありません、普通に考えて。

さらに驚くべきはこの一文。

単に「労働時間を減らす」といったことだけでは、仕事は楽しくなりません。もっと包括的に、日本の働き方を変えていく必要があるわけですが、まずは「職場のコミュニケーションの抜本改革」が求められていると言えるのです

引用元:日本人が「世界一、仕事が苦痛」と感じる根本理由 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

日本の働き方を「包括的に」変えていくにはコミュニケーションの抜本改革が必要なのだそう。
きっとこの著者は、
仕事は辛いものだ→楽しくないのはコミュニケーションが少ないからだ→コミュニケーションを増やそう!
という発想なのでしょうが、コミュニケーションが増えたところで、働き方の抜本改革には繋がりません。

改革するべきポイントはコミュニケーションじゃない

コミュニケーションを円滑にしよう!など、職場のソフトな部分を改革しようなんてのは古今東西あらゆる日本企業で行われて来たけれど、どれもオママゴト感覚で失敗に終わっています。
それも「無駄話はダメだけど職場内のコミュニケーションを仕事と関係のある話題に限って積極的に…」なんてやっちゃうから、ますます居心地が悪くなる。
改革するべきは職場というコミュニティの在り方。
もっとハードな部分を強制的に変えていく必要があると思うのです。

社会人類学者の中根千枝さんは著書の中で、

日本全体の経済が縮小して、限られたパイを皆が奪い合うことになり、他社との競争はますますひどくなる。質よりも量に主眼がおかれ、結局、長時間労働を招くことになる。したがって規制がいくら出ても、記録を隠そうとしたり、会社を出て 家で仕事をする、というようにカゲの部分が多くなるだけで、いわゆる長時間労働 の実体は変わるどころか増える一方となるのです。 「社会慣習」と「法制度」には「間」があります。長時間労働をさせないようにす るため、規制を目的にした法律自体はこれまでもたくさんつくられているといいます。しかしそれにもかかわらず、一つも円滑に働いていない。いかに社会慣習のほうが法制度よりも強いかということです。

引用元:タテ社会と現代日本 (講談社現代新書) p.66

と述べています。

日本人の働き方はタテの関係性、つまり、職場に長く在籍している者が上位に立つ。
そこに資格や能力の関係性はあまり問われず、長くその「場」に居たものに強い権限が与えられるのです。
結果として労働に対する能力ではなく、「忍耐力」を信奉するようなマッチョな人材が、忍耐力があるがゆえに残業という持久戦を展開する。
ライバル会社も同じように持久戦をしているのだからと、またしても増加する残業。
そんな悪循環に陥いったとしても、日本的な慣習が長い時間、強く根付いている職場にはこれまで、どんな法でも効果はなかった。
そう、「法制度」ですら、です。
ましてやコミュニケーションをとることが抜本的な解決になるとは、僕には到底思いません。

そもそもコミュニケーションが上手にとれたら、職場が楽しかったら、働く時間が減るのでしょうか?
そんなことはありません。
どう考えても、労働時間の縮小には繋がらないどころか、ますます増える。
その「場」に長時間居るだけのことが「仕事」であり、その結果がダラダラと生産性の低い労働に繋がっているのだから。
コミュニケーションを取りやすくすることは否定しませんが、コミュニケーションを円滑にするという小手先の改革のみで、働き方が「包括的」に変わる訳がありません。

解決策はヨコのつながり

また、記事の中でも「働く人の幸福度」などがインドは高いというのも、この本の中でヒントが見つかります。
インドではカースト制度により、階位の違う人との接触はあまりありません。
多くは自分と同じ階層の人とコミュニケーションを図る…。
そしてそれらの中では相互扶助がしっかりと働き、同じ階層の人が危機に陥っているのなら、見ず知らずの人でも助けずにはいられないのだそうです。
ゆえにヨコのつながりが非常に発達しているうえに、どんな貧困層でもさほど不幸には感じない。

僕が思う「仕事が苦痛な根本理由」は、単に家庭と職場しかコミュニティがないことで、職場のウェイトが重くなる。
職場では労働という制約の下で縛り付けられ、不自由だから苦痛に感じる。
それまでは多くの同業者や高額の賃金があったからこそ職場が「場」として重要でしたが、いまは賃金も低いし仲間も少ない。
だから、労働時間を削ってでも、労働時間外のコミュニティを増やすことが何よりの解決策なのです。

つまり、「コミュニケーション」でも「法制度」でもなく、社内慣習や仕組みなどを変更し、能動的に労働時間を削る策をとる
社内だけのコミュニティでは、情報や人材、その他、資格や健康など、あらゆるリソースを確保することができなくなり、今後の人手不足により、その悪影響はさらに拍車をかけて強くなる。
そのためにも積極的に外部との「繋がり」を推奨することを主眼に置くことが重要だと思う。
労働時間がネックになっているのなら、社外活動での評価を高めて、そのうえで定時であがることを推奨する。
ともすればそれは、現在盛んに議論されている「副業解禁」とも繋がってくると思うのです。

中根さんもこのように問いかけます。

一つの場に個人が所属する。 できることなら一つの場にずっと属しつづけたい。 そのような場があると安心する。それが日本の特徴であることは、これまで述べてきた通りです。

(中略)

最近、若い人たちが趣味などに没頭して、好きなことでコミュニティを職場以外 でつくっていこうという動きがあると聞きます。タテとは異なる関係をつくろうと 思ったら、やはりそれぞれが努力しないとできません。 ただ座っていたのでは一人のままですから、連帯は重要なのです。 日本のタテ社会は、どうしてもネットワークの弱さを抱えています。その弱さをいかに補完していくか、複数の居場所をいかに見つけていくか、高齢化が進む現在、そうしたことを考える時期にきていると思います。

引用元:タテ社会と現代日本 (講談社現代新書) p.126

家庭と職場だけではなく、自分が率先して向かうことのできる「場」。
タテだけではなくヨコの繋がりも優先できるように職場環境をダイレクトに変える。
そんなコミュニティの構築が何より重要だと僕は思います。

そのうえで著者にもう一度、問いたい。
「根本理由」って何ですか?

【紹介した本について】

カテゴリー 読書の記録著者 中根千枝形態 新書出版社 講談社Cコード 社会社会科学総記

この記事を書いた人

名無しのユータ

「読書が趣味」という訳ではないし、遅読で読解力も低い。けれど、読書を続けることでモノを考える力がやっと人並みに得られると感じ、なるべく毎日、本を紐解いている。
趣味はランニング、植物栽培など。