炭素ってなんだろう?身近に存在する元素界のヒーロー!?

地球上で生きるために重要な元素

僕らは「炭素」を奪い合って生きている

いま、地球温暖化や進む環境破壊によって、「炭素」が悪者とされる時代ですが、身の回りを見渡せば、実は炭素で埋め尽くされている…。
ほんの僅かな炭素という元素を生物間で受け渡す「炭素循環」のみならず、レジ袋から医薬品、石油やエネルギーの材料に至るまで、あらゆる方途でこの元素を利用しているのです。
そもそも人体における炭素の量は18%で、水分を抜いたらおよそ半分の量になるという。
ところが、地表や海洋に存在する元素を比率であらわすのなら、炭素はたったの0.08%しか存在しません。
そんな炭素を僕らは、他の生物から奪いあう生存競争を日夜行っているのです…。

それほどまでに炭素が、生きるために欠かせないのは何故なのでしょう。
それは、「結合しやすい」からに他なりません。

例えば周期表で炭素の隣にある窒素原子は、炭素に比べて電子を一つ余計に持っており、マ イナス側に偏っている。このため窒素同士で結合すると互いにはじき合う力が働き、不安定になってしまう。 炭素の左側にある元素も同じで、プラス側に偏っているがゆえに、互いに反発し合う。しかし中性である炭素は、互いに反発することがない。窒素は数個つながるのが限度だが、炭素は何百万個つながろうと互いにはじき合うことはない。このため長く連結し、安定かつ多様な化合物を作り出すことができるのだ。

また炭素は、最も小さな部類の元素だ。しかしこのために、炭素は短く緊密な結合を作ることができる。四本の結合の腕をフルに使い、単結合・二重結合・三重結合などと呼ばれる、多彩な連結方法を採ることもできる。炭素は小さく平凡であるからこそ、元素の絶対王者の地位に就くことを得たのだ。

引用元:炭素文明論―「元素の王者」が歴史を動かす―(新潮選書)p.17

とあります。
炭素が結合することによって、暮らしのなかに当たり前のように溶け込んでいるあらゆる「モノ」を形成しています。
そして人類は、炭素を利用することで発展し、文化を紡いできました。

なんで炭素がヒーローなの?

著者の佐藤健太郎さんは炭素のことを「科学の世界のヒーロー」と称賛していますが、読後はまさにその通りだと共感さえします。
ゆえにこの本を読むと分かるのは、炭素が分かると、生活の中に存在するあらゆる物質や道具の根本が分かる。
さらに「文化史」と銘打っていることもあり、その道具の発展経緯や歴史まで理解できるのです。

著者は炭素の利用について、順を追って次のようになると説きます。

  1. 自然界に存在する有用化合物を発見し、採取する
  2. 農耕・発酵などの手段で、有用化合物を人為的に生産する
  3. 有用化合物を純粋に取り出す
  4. 有用化合物を化学的に改変・量産する
  5. 天然から得られる有用化合物に倣い、これを超える性質を持った化合物を設計・生産する

そして、近年の有機合成化学の進歩は、「自然界に全く存在しない性質を持った物質を、新たに設計して生み出す」というところまで進歩しているといいます。

紹介されている「炭素」

まず、この本で紹介されている炭素にちなむ物質は、

  • デンプン
  • 砂糖
  • 芳香族化合物
  • グルタミン酸
  • ニコチン
  • カフェイン
  • 尿酸
  • エタノール
  • ニトロ
  • アンモニア
  • 石油

などなど。
なかには有機化合物ではない「窒素」も紹介されていますが、炭素の本だからといって窒素という重要な元素を抜かす訳にもいかないようです。
むろん、窒素の章もほどよくまとめられていて、僕らが様々な美食にありつけるのも、そして存在するのも、もしかしたら人類がうまく窒素を利用できた結果なのかもしれません。

なかでもとくに面白く感じたのは、

  • デンプン
  • 砂糖
  • グルタミン酸
  • アンモニア
  • 石油

の5項目。

デンプン、砂糖、グルタミン酸

デンプンは人類が農耕生活を営むことになってから常に悩まされてきた本質であり、デンプンを「収穫」することが即ち農業であると言っても過言ではありません。
そんなデンプンは体内で分解されると、やがてグルコース(ブドウ糖)となり、生命の維持には必須の化合物となります。
ならば直接ブドウ糖を摂取しちゃえ!という人間の欲望(があったかどうかは知りませんが)は、砂糖の生産を世界を股にかけて大規模に行うように。
そしてそこに介在するのは、奴隷労働。
一攫千金を賭した航海(グローバリゼーション)と投資、そして産業革命。
現代の僕らには当たり前のように感じる資本主義とは、この砂糖生産と貿易の歴史によっても紡がれてきたことでもあるのです。

そんなグローバルな資本主義に揉まれたのが、日本が生んだ「うま味」という新しい味覚。
各国の文化によって新たな味覚は受け入れがたく、ビジネスともなればその存在をことごとく否定されてきたグルタミン酸。
同じくしてうま味調味料を利用しなかった僕は「味の素」の使い方なんて、まるで分からなかった。
ところが、肉料理などに含まれるイノシン酸と一緒に使うと劇的にうま味が増すという一文によって、うま味調味料の使い方を理解したのです(笑)。
事実、あっさりとした味付けの豚肉料理に数回振りかけるだけで、格段に美味しく感じる。
思いこみだと言われれば、客観的な感想なので否定はできませんが、もはや我が食卓に味の素は手放せません。

「炭素」からエネルギーを知る

ハーバーボッシュ法があるから、僕はここにいる(かもしれない)

さて、次に面白かったのは「アンモニア」の章。
前章の「ニトロ」(簡単にいえば硝石の争奪戦)の続編のようなもので、空気中の窒素を肥料などに使えるようになった経緯を説明しています。
そもそも空気中の窒素(N₂)は強固な三重結合で結びついているため、植物が栄養素として使えるアンモニアや硝酸塩などの形態に変換する「窒素固定」が必要になります。
三重結合を引きはがすためには相当なエネルギーが必要であり、それを可能にしたのが「ハーバー・ボッシュ法」なのです。
この「ハーバー・ボッシュ法」は、様々な書籍で語られているので多くの人が知っていることとは思いますが、僕はこれを人類の発展にもっとも寄与した技術だと思っています。
それは著者の佐藤さんも同じく感じているようで、

このハーバー=ボッシュ法は、化学工業史上最高の成功例といわれる。現在世界各地に存在するアンモニア合成プラントは、今では我々の食料に含まれる窒素の三分の一を供給している。 言い換えれば、ハーバー=ボッシュ法による窒素生産がなければ、世界で二〇億人以上が飢えて死ぬという計算になる。
この功績で、ハーバーは一九一八年に、ボッシュは一九三一年に、それぞれノーベル化学賞を受賞している。一つの業績に二度ノーベル賞が出た例を、筆者はこれ以外に知らない。それ に見合う成果であることは、誰もが認めるところだろう。

引用元:炭素文明論―「元素の王者」が歴史を動かす―(新潮選書) p.201

と書いています。
ハーバーボッシュ法がなければ、もしかしたら僕らは、この地球に存在していなかったかもしれません。
それを踏まえると「人間は技術力が進み過ぎたから、スケールダウンさせて昔の暮らしに戻ろう」みたいな言説をきくと違和感を覚えてしまう。
もっとも、この「窒素固定」を行うプロセスには大量のエネルギーが必要だというのも事実ではあるのですが…。

エネルギーに僕らは疎い

現代では環境に負荷をかけないエネルギーをどのように作り出すのか、予断を許さない状況になりつつあります。
けれど僕ら日本人は「エネルギー」に関して、とても疎い。
スウェーデンの環境活動家「グレタ・トゥーンベリ」さんの報道がメディアに取り上げられると、至る所から批判の声が上がります。
やれ、どこの組織から支援されているのか、やれ、教育をまともに受けないでオトナに文句ばかり…など、辛辣な意見が多く目につきます。
ただ、そんな意見がある一方で、そのコメントをよくよく読めば、日本人はエネルギーに関して正しい知識を持っていないのでは?と疑問に思うのです。
書店へ足を運べば、気候変動は存在しないというような陰謀論めいた書籍が大量に並ぶものの、リベラルアーツとしての世界基準で問われる気候変動の問題点をわかりやすく解説しているものがない。
そもそも、エネルギーとは何かという根本に迫るものもないのです。
いわば、エネルギーを知らないのに、外国の若者や自動車メーカーの開発にとやかく言い、「核融合炉」の開発を求める自民党の議員を手放しで称賛している。

そんなことを考えていたら、僕自身、エネルギーに関しての知識は空っぽで、なに一つ他人事。
SDGsなどのスローガンにも、「自分ごとにして考える」とありますが、まずはエネルギーについての知識を得ることが重要なのではないでしょうか。

どうなる?「石油」

そんなエネルギー資源のなかでも、日常的に利用されるのが「石油」です。
なかでも石油はたったコップ1杯のガソリンで、およそ1トンのクルマと家族4人を何㎞も運んでしまう、とても優れた燃料といえます。
また、「分留」をすることで、あらゆる成分に分けることができ、用途もさまざま。
最後に残った油はアスファルトに利用するなどして、無駄なく使える。
そして、液体であるためにホースさえあれば、石炭のように運ばなくてもいいのです。

これほど優れた燃料ではあるものの、自動車のEV化は加速し、なるべく石油燃料を使わないようにしようという機運が世界的に高まっています。
現在の原油高も今後、そうした流れによって石油が使われなくなった場合に備え、原油を高く売ってしまおうという産油国の思惑も働いているとか…。
石油を使う産業、減らしていく産業、使わない産業などの棲み分けは、これから極端に変わるはず。
ただし、石炭→運ぶ、ガソリン→入れに行く、電気→家で充電などというように「利便性」の面から考えるとあらゆる場面でのEV化は避けられないと僕は考えています。

化学がわかると、いろいろとわかる

炭素を通して世界をみるといろいろなこと気づきます。
今日もディーゼルエンジンの自動車が通り抜けた後、あの酸っぱい臭いは何なのだろうと考える。
ネット上の記事によるとそれは「カーボン」つまり「煤(スス)」だと言います。
最近では自動車メーカーの企業努力もあって、クリーンディーゼルであれば、無臭だとも。
炭素の存在を知覚できればできるほど、世の中の仕組みも理解できるかも知れません。
そんなことに思い至る1冊です。

というか…。

この本を読んで思い至るのは、僕には「化学」に対する知識がまるでないこと。
「スイヘーリーベボクノフネ!」なんて、中学で覚えさせられたけれど、なんの役に立つのか分からないから、講義は右に左に聞き流していました。
ところが齢30を超え、再び化学の話を見聞きすると、これが面白い。
中学生活だけでは理解できなかった世の仕組みを知ることによって、化学がほんの身近に存在することが分かるように。
当然、それに伴って元素のようなミクロの存在を知覚できれば、マクロにも思考は及ぶのです…。
とある事象の点と点が線で結ばれることで、思いもよらぬ気づきが得られるし、人生経験とはこういうモノなのですね。
この年になって痛感するのは、いわば科学は化学で出来ているということ。
化学のこと、もっと勉強しようと思います…。

【紹介した本について】

カテゴリー 読書の記録タグ エネルギーカーボンニュートラル脱炭素著者 佐藤健太郎形態 単行本出版社 新潮社発行年 2013年初版年 2013年Cコード 化学自然科学総記

この記事を書いた人

名無しのユータ

「読書が趣味」という訳ではないし、遅読で読解力も低い。けれど、読書を続けることでモノを考える力がやっと人並みに得られると感じ、なるべく毎日、本を紐解いている。
趣味はランニング、植物栽培など。