ドイツ人「子供は社会で育てる」、日本人「カネがないなら子供を持つな」

ドイツと日本を比較すると見えてくるもの

働き方がだいぶ違う

以前から元NHK記者の熊谷徹さんの書籍などでドイツに関する情報を目にしていたので、なんとなくドイツのことは知っているつもりでいました。

けれど「いまどきのドイツと日本」では、日本在住のドイツ人、自称「職業:ドイツ人」であるマライ・メントラインさんが本音で、ドイツと日本のアレコレを語っているのが印象的です。
生粋の(?)ドイツ人目線から、日本の問題に切り込んでいるのです。

例えば、ドイツ人は勤勉で合理的なことはわりと日本でも認知されているかと思います。
そんな合理性は働き方にもあらわれていて、

  • ドイツの一般的な正社員は年4週間、有休を取得。年平均27日間。それに日曜日も合わせれば1カ月も休める
  • 日本に比べ、ドイツ国民一人当たり労働生産性は約36%も高い
  • 1994年に施行されたドイツの「労働時間法 (ArbZG)」 では、 「一日当たりの労働時間が、 8時間を超えてはならない」ことが明記
  • ドイツでは残業代を金銭として払われるのではなく、超過分は時間で代償される。残業した分を後日休める。

など、生まれも育ちも日本である僕にとって驚くべき事柄が満載。
日本は「長時間、その職場で張り付いていること」が勤労の証であるとされますが、ドイツでは「3時間も残業してる君はそんなに仕事ができないの?」とみられてしまうそう…。
ところがコロナ禍になってテレワークが推進されると、ドイツでも残業が増えたとか。
とはいえ「週に3時間」。
単位が違います(笑)。

「子供は社会で育てる」というコンセンサス

そんなドイツに関する考え方で、強く感動したのは「子どもは社会で育てる」というコンセンサスが国民の間でなされていること。
たとえば、教育費は実質無料。

(マライ)コロナ禍で、大学生の学費や生活費の問題がクローズアップされましたね。アルバイトができな くなったから、最悪の場合、大学をやめなくてはならなくなるとか。大学はもちろんですが、 日本の場合、塾も私立校も高額ですよね。ドイツにはそのどちらも基本的にはなく、公立学校は小学校から大学まで無料です。つまり「医者になりたい」という希望を持ったとき、日独だとかなりの金額の差が出てくることになる。
日本だと、私立大学の医学部に進学する場合、トータルで数千万円単位で子どもの教育にお金がかかると聞いて仰天しました。子どもの頃から高額の塾に通い、中学から私立に進み、大学も一千万円単位でかかる。
純粋に疑問なんですけど、その制度で国は質の高い人材を確保できているのでしょうか。

引用元:本音で対論! いまどきの「ドイツ」と「日本」 p.114

日本の現状は、親が資産を持っているかどうか、それを子どもに「投入」することができるかどうかによって、子どもが受けられる教育に格差が生じてしまう。
いっぽうドイツでは小学5年生(10歳)に上がる段階で、将来を決定する学校に進学せねばならなく、親の意向や自身の経歴によって決められてしまう問題がある。
ただし、塾も私立校もないドイツでは、経済的な問題でその子の持つ本来の学習能力が削がれるわけではないので、比較するのならドイツのほうが教育を受ける「受け皿」の幅は広いのかもしれない。

フィンランドへの取材を通して感じたことを、増田さんはこう述べています。

(増田)フィンランドで学校教育の取材をしたときに、教育の目標が「よき納税者を育てること」と言わ れたときには目からウロコが落ちましたね。結局、国の将来を支えてくれるのは今の子どもたち なんだから、誰もが等しく教育を受け、社会に出てちゃんと収入を得られる仕事に就き、税金を 納めてくれるような人材を育てることが一番だと考えているんです。だから、高い税金を納めて、 教育費は無償で、平等の教育を実践できる。そこに納得感がある。一方、日本人は、子どもを社会で育てるというよりも「うちの子だけは、人並みかそれ以上に なってほしい。だから親ができる限りのお金も手もかける」という意識が強い。そんな考え方が「な ぜ私が払った税金で他人の子の学費を負担するのか」という発想になってしまうんだと思いま す。それでは教育格差はなくなりませんよね。

引用元:本音で対論! いまどきの「ドイツ」と「日本」 p.115

ごもっともな意見だと感じます。
少子高齢化で子どもの人口が減少し、未来を担う若い世代から高齢者は「年金」というカタチで資金を随時補給することになる日本の現行制度。
本来はそんな未来の担い手を支えるために、子育てをより健全に、より手厚くすることが第一であるべきと僕は思うのですが、どうやら日本社会はそうではないらしい。

「カネがないならピアノに行かせるな」という違和感

先日、衆院選に向けて、こんな報道がありました。

長女の友だちは体操やピアノなどの習い事をする子が多いが、女性の家庭は家計が厳しく、月謝を支払う余裕がない。「コロナの感染が落ち着くまで待って」。その場をやり過ごすしかなかった。
女性は自営業の夫、中学2年の長男、長女と4人暮らし。新型コロナウイルスの感染拡大で繰り返された緊急事態宣言のあおりで、夫は仕事が減った。手取りは月約40万円から半減し、女性のアルバイト収入を足しても家計は赤字。政府の無利子融資事業で200万円を借りてしのいだ。

(中略)

昨年1月以降の状況を尋ねた利用者アンケートで「十分な食料品が買えなかったことがある」と回答した家庭は47%に上り、「(子どもの)習い事の支払いができなかった」は28%。「年収200万円未満(2020年)」は65%に上り、「貯蓄10万円未満(21年6月現在)」も51%と半数を超えた。渡辺由美子理事長は「親が非正規雇用でぎりぎりの生活をしていた家庭ほど収入が下がった」と指摘する。
政府は困窮家庭の子ども1人当たり5万円を給付するなどの対策を講じたが、生活水準の維持には足りない。渡辺理事長は「もともと子育てへの支援が薄い上に、子どもを抱えて困窮してもすぐに助けてもらえないとコロナ禍で分かった。若い人から『こんな状況では、子どもを持つことは考えられない』と聞くようになった」と話す。

(中略)

日本の社会保障は高齢者向けの年金や医療が中心で、子育て給付は少ない。内閣府の「少子化社会対策白書」によると、国内総生産(GDP)に対する児童手当などを含む家族関係支出の割合は1・65%(2018年度)。日本よりも出生率の高いスウェーデンの3・42%(17年度)、英国の3・19%(同)と比べれば半分程度にとどまる。

(中略)

日本大の末冨芳(かおり)教授(教育行政学)は「政治と社会は子育て世帯に冷たく、『子育て罰』とも呼べる厳しい仕打ちをしている」と批判。「児童手当を抜本的に増額して、子育てを『つらいもの』でなくすることが少子化問題の根治策だ」と訴える。
末冨教授は少子化について「若者が子育てのリスクを避けて産まない選択をしていることが主な要因」と指摘する。12年の3党合意を経て、安倍・菅両政権で社会保障改革は一歩進んだ。しかし、生まれた子どもは103万人(12年)から84万人(20年)に減り、少子化に歯止めはかからない。経済や社会保障の担い手が不足し、社会の基盤が崩れかけている。

あなたの衆院選 政策企画編:「習い事はコロナ落ち着いてから」 収入減、子育て世代を直撃 | 毎日新聞

この記事の中で語られるのは「子育て罰」。
そんな言葉の深い闇を僕は知らなくて、何気なく覗いてみた当記事のコメント欄に驚愕したのです。

子どもを育てることは本来、国の存立を持続するためにも必要な過程であるはずなのに、社会全体が子どもを育てることに厳しい。
子どもを育てること=親の自己責任であるかのような言説が多く、ここまで根深いとは思いもしませんでした。

人格的にも経済的にも成熟しなければ子供を持つな?

さらにこの記事を読んだ翌日、こんなツイートまで。

まるで子どもを育てるためには、親が「大人として成熟」し、「経済的にも自立」しなければ子どもを設けてはならないとも読める。
これこそ僕は「危険思想」だと思うのですが、引用リツートで反論したらブロックされてしまいました…(笑)。

これらの意見を考えるにつけ、子供は財産であるけれど、あくまで財産以上の域を出ない価値観が日本にはあると感じたのです。
平たく言えば日本人が子どもに抱くのは「親の私的所有物」といった暗黙の認識があると思う。
関係性としてあらわすのなら、犬や猫と一緒なのです。
子どもを「所有」することは親の「自由」であり、そこには当然のことながら「自己責任」を伴う。
「自己責任」が付いて回る(ように思う)からこそ、子育ては社会を構成する要素ではなく、個人の任意活動のように組み込まれている。
極論を言えば、「子育て」というステージは親の勝手だから、社会活動に組み込むことはビジネスなどの「生産活動には無関係」のようにとらえられがちなのです。
核家族化も極まり、ついぞ他の親がどのように子どもに接しているのかも見えづらくなって、他人様の子育てについて芝生が青く見える。
結果として適切なサポートもないまま苦労した前世代の親たちによって、子育ては辛く厳しいもの、社会に頼ることなどご法度のような風潮が子供世代に流布されたと僕は考えます。

ゆえにピアノの習い事に行かせられないのは親の責任であって、噛み癖の悪い犬を扱うように「身の丈を知りなさい」と考えてしまうのでしょう。
けれど子供にはなんの責任もありません。

このことについても本書では触れられていて、所得の低いひとり親世代への支援について、

(マライ)わりと手厚いですね。 ひとり親の場合は出産時にベビーセットももらえますし、仮に離婚相手が 養育費拒否をした場合、国が代わりに支払ってくれます。 失業中や低収入で家賃や健康保険料が払えないケースでも、国が代わりに払ってくれます。
これはオプションですけど、例えば「子どもに人並みに習い事をさせたいけれども、収入が少なすぎてできない」という場合、習い事のクーポン券が発行されたりもするんです。 これは国ではなく住んでいる自治体単位ですけど、水泳教室とかバイオリン教室とかに通わせることができる。学校の修学旅行代も同様です。

引用元:本音で対論! いまどきの「ドイツ」と「日本」 p.147

とあります。
ピアノに行けないのは、そんな親だから諦めなさいという絶望的なメッセージを子供に投げかけて、それになんの意味を持つのでしょうか。

「社会で子供を育てる」ドイツに対して日本は、「完全なる大人が自らの金銭を用いて」行うもの。
つまり「自分の手で育てあげた」という美徳感情がある。
それに基づいた「自助」だけが幅を利かせ、「共助」「公助」がすっぽり抜け落ちているのです。

「百年国恥」 という言葉

そんな日本人にこびりりついた価値観をどうにか払拭しなければ、確実に悪化する少子化を緩和することはできません。
少子化が悪化すれば、当然の如く国力が弱まり、経済力も疲弊。
島国の日本ではあらゆる物資を他国から「買わなくてはならない」ために、その購買力を担保するには国外へ原資を求めることになる。
経済力が弱まれば、原資を自己の能力によって確保することができなくなり、他国の「主導権」がなければモノを作る材料を得ることすらできなくなります。
つまり、何かをつくりたいと思っても、材料がないから作ることができない。
新しくモノを作るためには外国に行くか、外国人のリーダーシップの下によってのみでしか、生産活動ができなくなる。
よって近隣の国から労働などにより「搾取」されることに繋がります。

中国には「百年国恥(ひゃくねんこくち)」という言葉があります。
アヘン戦争の19世紀後半から20世紀前半にかけて欧米列強やロシア、日本が介入。
およそ100年もの間、自国の行く末を左右するオールを自らの手で握ることができなかったことを言い表すそうです。
今の日本は、未来を左右するだろう子どもに対しても、苛烈な環境を生み出そうとしている状況にあって、そんな未来にどう対処するのか方策も決まらないまま、ネット上で他人の子育てを糾弾するだけ。
清国の悲劇がこの国でも起き得ようと僕は危惧しています。

本書を読めば「子育て罰」的な論調みたいなものは、ドイツではそもそも議論として挙がらないことも感じます。
何かあれば保護を受ける権利があるという、社会全体としての合意があるから。
言わば生活保護などを含め、子育てに対する庶民感覚は、日本は完全に未熟。
未熟ゆえに「子育て罰」を肯定する人こそ、思慮に欠け、未熟なのでは?

超高齢化&少子化社会の影響はいまだ未知数

話はだいぶ逸れてしまいました。
その他、ドイツでは深刻な移民問題や、日本よりも圧倒的に進んでいる環境・エネルギー問題も取り上られています。
これらはよくよく考えてみれば、投票日の迫る衆院選の争点とも酷似。
最後に増田さんはこう述べます。

(増田)事実ではなく、自分たちにとって都合のいい情報が「正しい情報」として拡散していく。それが SNSの恐ろしいところです。原因を端的に語ることは難しいですが、誰もが発信できる世の中になりそれが世界中を舞台にしていること。そして、その根底にあるのは、それだけ不満を抱えている人が世の中に存在することや、教育が十分に行き届いていないことだろうと思うんです。 さらにその背景にあるのが経済的・社会的格差の問題。100%誰もが満足のいく社会なんてありえないかもしれませんが、理想を掲げ、それに一歩でも近づく努力をするのが政治家の使命だと思うんですね。そこには、科学的根拠や論理的思考が欠かせないのではないでしょうか。

引用元:本音で対論! いまどきの「ドイツ」と「日本」 p.240

自らの住まう国よりも党の利益、自らの利益ばかりを優先する政治家たち。
それらになんの疑問を抱かずに、バカの一つ覚えのようにいつもの党へ投票してしまう有権者。
変わらない政治家を選び続けた挙句、コロナ禍のような非常事態では、変化をすることができずに多大な犠牲を今も僕らは払い続けています。
もっとも、超高齢化&少子化社会の影響はいまだ未知数。
これからの僕らは、とんでもない惨状を目にし、さらに辛い現実を乗り越えなければならないことでしょう。
だからこそ、さまざまな可能性を見聞するべきではないでしょうか。
違う視点から捉えれば、ドイツのような国の在り方に進むのなら、どんな影響が待ち受けているのかを知ることにも、本書は使えるのではないかと思います。

【紹介した本について】

カテゴリー 読書の記録タグ ドイツ子育て教育著者 マライ・メントライン増田ユリヤ池上彰形態 単行本出版社 PHP研究所Cコード 社会科学総記

この記事を書いた人

名無しのユータ

「読書が趣味」という訳ではないし、遅読で読解力も低い。けれど、読書を続けることでモノを考える力がやっと人並みに得られると感じ、なるべく毎日、本を紐解いている。
趣味はランニング、植物栽培など。