コロナ禍と「でぶのハッピーバースデー」

コロナワクチンを打ちに行きたいけれど、忙しすぎて。
そんなことを耳にする機会がこのところ、増えたような気がします。

『静かに、ねぇ、静かに』 を読む

「でぶのハッピーバースデー」は印象的な作品

「劇団、本谷有希子」の作品「本当の旅」が収録された『静かに、ねぇ、静かに』を読む。
もともと僕は小説をあまり読まないことにしているのですが、偶然にも本谷氏の活動を知り、この本を手に取ったのです。
「本当の旅」は多くのレビューがあるし、文庫本の巻末には武田砂鉄氏の読み応えある解説も付してあるので、ここでは書きません。

この本を読んで非常に印象的だったのは、3話目の「でぶのハッピーバースデー」。

ここから本の内容をざっくり。
もともと働いていた会社が倒産し、そろって無職になった夫婦が、「いろんなことを諦めてきた人間だという印」である妻の不揃いの歯を矯正しようという話からはじまる。
やがて妻はステーキ店での仕事を得て、その店に夫も加わるようになる。
仕事で信頼を得たことで一念発起し、歯科医のモニターとして4本抜歯。
ところが、腫れが引かず8日間「風邪だ」として、仕事を休んでしまう。
このことを店長から店長会議に報告することを告げられ、もう休めない。
顔面の片側だけ歯のないまま通院することを辞め、また仕事に精を出す日々に戻るのです。
時は過ぎたある日、店長の家で開かれるクリスマスパーティに招待されることになり…。

簡単には仕事を休めない

主人公の夫婦はもともと、パチンコ店で仕事をしていたため、パチンコ店で行われる業務以外、できることがないと考えています。
長年の労働で夫は身体を痛めているうえ、年齢も若くない。
なんとか近所のステーキ店での仕事を得るのですが、深夜帯の労働くらいしか働き口がない。
ところが周囲でちょっとした出来事が起きても、休暇を取ることは非常に困難で、休んだことで簡単に仕事を失ってしまう。
この物語と同様に現実の労働環境は、働くこと以外、自分のために自由に使える時間の「質」が非正規雇用などのなかでは著しく低いのではないでしょうか。

いわば、長い休暇も取れないので、病気にかかれば治すこともできない。病気にかかったことで経営者側に迷惑をかけることもできない。
むしろ病気にかかることは普段の行いが悪いからであり、病気にり患することはもはや自己責任。
海外旅行なんてもってのほか。
といったような暗黙の精神論が日本社会の奥底にあるような気がします。

このコロナ禍でエッセンシャルワーカーや、飲食店の従業員など多くの人が職を失っている可能性があると言われています。
この小説の単行本が発行されたのは2018年。
当時から苦しい生活を強いられている人々が多くいることは問題視されていましたが、今後、この物語のように身動きの取れない状況が多くの人に増える可能性があると僕はみています。
今の、そしてこれからの働き方がいよいよ物語のように「休めない」ことにより、自己成長の機会やQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を高め、維持することが困難になる。
この物語で問われている問題が、コロナ禍でより一層、露見しているように思います。

具体的にはこんなふうに。

熱が出たが、仕事を休めない。
でも、もしコロナに感染していたら、職場に迷惑が掛かる。
どうしたらいいのか分からないけれど、とりあえず、職場に行って様子をみよう…。
感染拡大を防止しなければならないはずなのに、これまでの相反するルールのグレーな部分にコロナウィルスは侵入したのです。

その結果、都市圏では感染者が増え、オリンピックは延期。
国は緊急事態宣言を発出し、いつしか休む、休まないを悩んでいた人々の職そのものが失われてしまった…。

たぶん、「でぶのハッピーバースデー」に登場する主人公や女優志望の女の子など、コロナ禍で何らかの影響を被っていたかもしれません。
いや、主人公はラストの時点でなにかしら、職を離れていた可能性もありますが…。

ワクチン接種を躊躇う僕の友人はきっと

そんなことを考えている折、友人が「忙しくてワクチンを打つ暇がない」とこぼすのです。
ワクチンを打てば副反応が起こるだろうし、それによって飲食店の仕事に穴をあけるわけにはいかないと…。

緊急事態宣言のなかでも、自粛の夜間以外で赤字を補填しようと必死に営業している店も数多くある。
けれど、そこに従事している従業員にワクチンを打つ機会や副反応へ対処するための休暇等を用意している中小企業はきっと、皆無でしょう。
僕の周囲にはワクチン接種を終えた高齢者が多数であって、彼らが今、そんな中小企業を経営している立場にある。
彼らは自らの経験から「副反応は強くないから働け」と強要するのは目に見えています。
副反応は人それぞれで、しかも、若年者の方が強く起こる場合がある。
ならば、強い副反応が起こって仕事に穴をあける状況に陥るのなら、打たないほうがマシかもしれない…。
僕の友人はきっと、こんなふうに考えているのでしょう。
どこかおかしくありませんか?

若年層は集まる心理的かつ必然的理由がある

昨日(2021年7月31日)は全国で12,000人以上もの人が新規感染者となり、過去最高を更新しています。
さらに、その7割超が30代以下の若者だとの報道もあります。

 年代別では30代以下が約71%と若い世代の感染が目立ち、ワクチン接種が進む65歳以上は約3%と感染が抑え込まれている。検査の陽性率は30日時点で19・5%に上昇しており、市中感染の広まりが感染拡大の主な要因とみられている。

引用元: 30代以下が7割超 全国で新たに1万2342人の感染確認(毎日新聞) – Yahoo!ニュース

そんなニュースを見聞きするたびに僕は、そんなこと、当然の結果じゃないかと呆れます。

  • 有権者の票田である高齢者を優先接種し、2回目接種を70%以上が打ち終わる
  • 同じくしてファーザー・モデルナ製ワクチン等が不足し、自治体や職域接種への供給量が減少
  • 生活を営むためのアルバイトや、他者との関係性を維持するための集まりなど、若年者ほど多くの人が集まる場所へ出掛けなくてはならない心理的かつ必然的な条件がある。

高齢者がワクチンを優先的に接種することは悪いことではありません。
僕が違和感を覚えるのは、優先的にワクチンを打ってもらった高齢者が打ちたくても打てない未接種者を非難することです。

ワクチンを打ちたくても打てないのに、一方的に非難される若年層と中年層。
そしてそれは中年層の重症化に繋がり、医療体制が逼迫し…。
つまるところ、時間の制約が強すぎて余裕のないこの社会体制は、長くコロナウィルスとの戦いに巻き込まれ、他国と比べると格段に「敗戦」し続けると僕は考えています。
治療もできないし、ウィルスから逃げることも、免疫力をつけるワクチンも打てないのだから。
そんな社会構造にしてしまったのは、いったい誰なのか。

「でぶのハッピーバースデー」は最後のセリフにこうあります。

確かにあたし達は、もっと何かをしなきゃいけないのかもね

引用元:静かに、ねぇ、静かに (講談社文庫) p.197

それでも労働者は、国民は、日々を動き続ける。

【紹介した本について】

カテゴリー 読書の記録タグ コロナウィルス非正規雇用著者 本谷有希子形態 文庫出版社 講談社

この記事を書いた人

名無しのユータ

「読書が趣味」という訳ではないし、遅読で読解力も低い。けれど、読書を続けることでモノを考える力がやっと人並みに得られると感じ、なるべく毎日、本を紐解いている。
趣味はランニング、植物栽培など。