僕が佐藤優さんを知ったのは、20代の社会人になりたての頃。
通勤途中でラジコから聞いた『くにまるジャパン』の放送でした。
僕が佐藤優さんを知ってから
何がオカシイのか分からない
当時はまだ自民党政権に変わるか変わらないかの頃で、震災・原発対応もままならない民主党政権に辟易していました。
そのうえ、長時間労働と安い賃金で働く毎日。
太陽光の入らない事務所の中で、PCの前に座り続け、カネのために時間をやり過ごす。
家庭でも職場でも電車の中でもスーパーの陳列棚のあいだでも、どこもかしこも「怒り」に似た感情が僕に襲い掛かる。
何かがオカシイ。
でも何がオカシイ?
SNSなどで批判こそ目にするものの、声を上げる人も周囲にはいません。
家族や友人、そして職場の上司でさえ、そんな僕の疑問には答えることができず、僕には他人が何も考えていないように見える。
下手に疑問を投げかければ「それよりもやることがあるだろう」と手を変え品を変え、論点を先送りにする。
それはとどのつまり、何がおかしいのかを自分の頭で考えて整理することすら怠っている人がほとんどで、自分なりの考えを持ち合わせていないのだろうと思っていました。
社会にはそんな大人しかいないのだろう。
もっとも僕自身ですら、何に恐怖し、何が不安なのかさえ明確にする基礎体力すら身についていませんでした。
振り返ると、僕の20代は「疑問が即ち不安」であることを気づかせてくれるタネのようなものを敢えて探していた時期でもあったと思います。
そのなかで佐藤さんは、周囲の大人とは少し違ったのです。
日々の垂れ流されているようなニュースは確実に僕らと関係がある、無関心でいてはいけないのだとしきりに発信。
そのための勉強法をどうするのか、物事を書籍などからどう考えるのかなどの著書を多く世に送り出している頃でした。
ニュースと僕らの生活は無関係じゃない
外務省主任分析官だった経歴と圧倒的な知識量で導き出される見識は、実は答えのようで答えではありません。
佐藤さんのニュース解説をよく聞くと、歴史的な背景からはじまって、時の政権のリーダーのパーソナリティにおよび、最後には「私はこう思う」で締める。
これがインテリジェンスか!と膝を打つこともあるし、リスナーには答えのように受け取られるかもしれません。
けれど、ギリギリのところで明言化しないのが佐藤さんのコメント力。
結果として、僕らは佐藤さんの与えた膨大なヒントを頼りに、これから起こるだろう事象についてあれやこれやと考えることになるのです。
身の回りで起こるニュースは、自分なりに考えていくことが重要であって、これからを生きるヒントが隠されている…。
ゆえに僕の身の回りで沸き起こる「疑問即ち不安」は、僕自身があらゆることを知らずに無頓着で生きてきたために起こるもの。
「オカシイ」と感じることや「フワフワとした恐怖」を自分自身で読み解き、自分自身で一定の解に辿り着かなければ、不安を取り除くことができないのです。
佐藤さんのニュース解説を聞いてきたおかげで政治に対して深く興味を抱くようになったといっても過言ではありません。
難解な資本論を読み解くだけの資本論講義
そういえば、資本論の解説本も同じようなもの。
佐藤さんの説く、資本論関連の書籍は難しいけれど、面白い。
あちらこちらにハナシが寄り道しながら、いつの間にか資本論の大まかなイメージが頭にインプットされている。
けれど読了後、資本論を通して佐藤さんが何を言いたかったのかがいまいち見えてこないのです。
なぜ僕らはこんなにまでも働いているのに、低賃金なのか。
そのシステムは理解できるようにはなったけれど、そこから先の話、僕らはどう働くべきなのかには言及しないのです。
この点においても、佐藤さんなりの答えを読者に明言していません。
はじめに読んだのは「いま生きる資本論」。
それから「いま生きる階級論」
それでも何が言いたいのか分からないから、タイトルに希望を見出して読んだ「希望の資本論」。
実はどれも、佐藤さんが何を僕らに伝えたいのか、明確ではないのです(笑)。
考えるための材料を食べやすい大きさに切り刻んでくれたものの、食べるまでに調理するのは僕らの仕事であると…。
そう投げかけられたような気がしたのです。
ついに佐藤さんが明言化した「答え」
そんな折に手に取ったのは「はたらく哲学」という本。
これまでに読んだ「資本論」シリーズを読み通したうえで思うのは、分散されていたために、いくつもの「佐藤優本」を読まなければ見えてこなかったもの、つまり、佐藤さんが伝えたかったことが、だいたいこの本にまとめられているということ。
僕のように社会や労働に対してフワフワとした疑問を抱く若者へ「逆境のなかで生きる術」を佐藤さんが珍しく教えてくれているのです。
もっと早くに読みたかった(笑)。
昨今、岸田新総理が「分配なくして成長なし」、あるいは「成長なくして分配なし」との演説がSNSを通して拡散されています。
僕はそれをみるにつけ「どうせ分配されないなら、成長しなくても良いか」と考えてしまいます。
実際、頑張るべきところは頑張っているつもりでも、周囲からはいまいち評価されているとは思えません。
収入もここ数年、上がりません。
むしろ、年収が下がることはあっても、継続的に収入を得ることができるのなら、それでこそ素晴らしいことではないかという、開き直りに似た感情ですら抱いてしまいます。
きっと僕の周囲の「若者」も同じように、現状維持路線を貫き通すことで精いっぱいで、だからこそ仕事はそこそこに、私生活を充実させるという思考になっていくのだと思います。
「はたらく哲学」を読むと、その考えは間違いではないと気づかされます。
「はたらく哲学」を読んで思うこと
「はたらく哲学」はとにかく第1章を理解することが重要だと思います。
というのも、働くこととはつまりお金を得ること。
お金を得ることのなかであらゆる問題が立ち起こるわけで、それに付随する悩みが第1章以降に連なります。
だからこそ、僕らは「お金」とどう向き合い考えるか、自分なりに落とし所をつけなくてはまずは何もはじまりません。
第一章の「豊かさの哲学 お金で幸せを変えるのか」では、お金について次のように説いています。
- お金はフェティシズムであり、いくらあっても際限なく欲してしまう
- お金から自由になるには「見極め」と「見切り」が必要
- 自分自身の「安心」して「楽」に過ごせる場所を得ること
順を追って僕なりに思うところを考えてみます。
①お金はフェティシズムであり、いくらあっても際限なく欲してしまう
本の中で佐藤さんは何千年も前から宗教は「お金」を警戒していると言います。
キャビアをたくさん食べればお腹いっぱいになるけれど、お金はいくら稼ごうと際限がなく集めることができる。
これを「限界効用の逓減」と言い、貨幣には「物神性(フェティシズム)」があり、あればあるほど「良い」と感じてしまう。
終いにはお金を稼ぐことが重要になってしまい、お金を稼ぐことで得られるものが見えなくなってしまう。
そう考えると、世界中の富を集めて宇宙へ飛び出そうとしている1%の彼らについても、何となく理解できる。
この世の存在するあらゆる「富と交換できるもの」を知ってしまい、次に得られるものを探しているのではないか…。
彼らは宇宙を開発しようとしているのではなくて、宇宙を「買おう」としている。
そしてそれらをビジネスという枠にあてこみ、「商品」へと変換し、隙あらば僕らへ売ろうとしているのはないでしょうか。
けれどいまの僕らには、彼らの売る「宇宙」を買うことができません。
なぜなら、宇宙を買うに足る原資が僕らには不足していること、またはそこまでの技術革新に至らないから。
いずれ技術革新が功を奏し、ある程度の資金を積めば成層圏を一瞬だけ抜けるくらいの宇宙旅行ができるかもしれません。
けれどいま、彼らの売る宇宙を買うことができるのは、お金の使い道が見つからないくなった富裕層に限られるのであり、宇宙に行くことが富裕層のたしなみ(ステータス)になろうとしています。
ただし、ここから先は欲望の際限をなくした資本主義が僕らの生活を便利にする反面、1%の彼らにますます資本を集中することになるでしょう。
まず、宇宙での情報インフラ整備は、高密度の電波を送信することができ、ビルなどが乱立する都市部での電波利用もスムーズに行えることが予想できます。
さらには有限とされる地球内でのエネルギーを宇宙から持ち出すことができれば、限りない資金を得ることに繋がります。
宇宙開発は終わりの見えないお金稼ぎ、つまりは「限界効用の逓減」が彼らにはある。
そして確実に、遠くにあった宇宙が「商品」へと形を変え、僕らの手元に少しずつ届こうとしているのです。
②お金から自由になるには「見極め」と「見切り」が必要
佐藤さんがよく口にするのは「労働価値説」の重要性。
本書にも、
会社員として働く時は、自分は資本家ではなく、労働力をういっている労働者なんだという「見極め」と、だから収入には限りがあるんだという「見極め」が重要なんです
仕事に悩む君へ はたらく哲学 p.57
とあり、どんな高収入を得ているコンサルタントであっても、雇われている限りは「プロレタリアート」であり、「他に富を生み出す手段を持っていない人」という意味を持つのだそうです。
そしてそのプロレタリアートには、
- 労働者が自分の労働力を売ることができる「自由」
- 労働力以外の生産手段からの「自由」。
つまり、土地、道具、機械などを所持することからの自由。
という2つの「自由」があるのです。
2つ目の生産手段からの自由を奪われたことを否定的に捉えたマルクスは、プロレタリアートが資本家から生産手段を奪われた、すなわちそこに「搾取がある」と捉えたのです。
搾取する資本家を打倒しようとするため、共産主義を目指した革命は失敗に終わることとなりますが、佐藤さんは
労働以外の稼ぎを特に必要としない、階級アップを求めない「プロレタリアート」で自分はいいんだと思ってしまえば、それなりに豊かに暮らせる土壌が日本にはあるんです。
引用元:仕事に悩む君へ はたらく哲学 p.63
と説いています。
現代では他の主要国に比べ、賃金が下落するいっぽうの日本。
それでも労働力の対価として賃金を得て、納税を行っているのなら「利他」として立派に社会貢献を果たしていると中盤(p.128)にも書いています。
寅さんの名台詞「稼ぐに追いつく貧乏なし」を引き合いにしていることからも、働いていれば死ぬことはないのだとも読めます。
人口動態の変化が著しい日本において、経済的な繫栄が見込める要素が少ないことは日増しに多くの有識者が唱えています。
佐藤さんも恐らく、国民の賃金が絶対的に減っていくことを予想しているのでしょう。
ならばお金がないことを否定的に捉えるのではなく、不足しているお金で何ができるかを考えることの方がむしろ、これからの日本には重要になっていくのではないでしょうか。
③自分自身の「安心」して「楽」に過ごせる場所を得ること
そのうえで大切になるのは、「周りと比べて自分がどの位置にいるのかではなく、自分の置かれた環境においていかに安楽に暮らせるか」を知っておくことだと、佐藤さんは述べています(p.65)。
さらには、自分でコントロールできないものを追ってしまうと人生は辛いものになるとも。
どんなに働いても希望する賃金を得ることができず、それによって不幸ばかりが募ると感じるのは今後より一層増幅すると僕は思います。
自分でコントロールが可能な欲望の境界が下がっているのにも関わらず、理想と現実とでは欲望のパラメータが知らずに解離しているのかもしません。
もっとも、親と同じような家族を構築すること、家や車を買うこと、同じようなライフスタイルを得ることは難しくなるでしょう。
社会情勢は不安化し、どうあがいてもこれ以上良くなることはない。
そしてその社会情勢を変革することは、自分の力では不可能である。
だからこそ、その社会の中で自分ができること、それこそ「安楽」に暮らせることは何かと考えるしか術がないのかもしれません。
それはつまり、身の回りの人間関係や、手の届く幸福をいまより一層大切にすることです。
働くことだけが人生ではなく、仕事のほかに人間関係を持つこと、仕事以外の趣味を持つことも重要なのではないでしょうか。
だからと言って諦めるのではなく、その事柄に自分がどう対処していくのか、絶えず情報を精査し、勉強することが重要だと思います。
物事をどう捉えるのか、そしてその「捉え方」を構築する材料をどう「考えるのか」が求められるはずです。
佐藤優さんが病気を公表
佐藤優さんの病状について
2021年12月4日。
佐藤優さんが自身の病気を公表しました。
元外務省主任分析官で作家の佐藤優さん(61)は本紙4日付の自身のコラム「佐藤優のウチナー評論」で、東京の大学病院から前立腺がんであると診断されたことを公表した。悪性は中程度で、今後、骨とリンパへの転移の有無について精密検査を受けるという。
自身が末期腎不全であることも明らかにし、妻がドナーとなる腎移植を検討していたが、移植される側にがんがないことが移植条件の一つであることから、がんが転移している場合には移植を断念し、血液透析の準備をするという。
引用元: 佐藤優さん、前立腺がん公表 本紙コラムで「過渡期の沖縄人として残り時間考える」 – 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト
さらに、2022年1月7日放送の「くにまるジャパン」では、大雪の影響でスタジオに行くことができず、リモート出演。
放送の後半では自身の健康状態について、クレアチニン値が10.46で、eGFRが4.7であり、心臓に水がたまり痙攣。
突然死の危険性があるとして最低2週間の入院が必要であり、放送直後に病院へ行き、入院することを明かしています。
この報道には「働くことってどういう意味を持つのだろう」という疑問から、何冊かの佐藤優さんの著書を読んできた僕としては少なからずショック。
つい最近、Youtubeで動く佐藤さんをお見掛けした際には、少し痩せた印象を抱きました。
元のコラムでは、
筆者の年齢で血液透析に移行すると統計上、余命は8年強程度だ。もっとも筆者の周辺で15年以上も透析を続けている人もいれば、2~3年で他界した人もいる。筆者も自分の人生の残り時間を真剣に考えなくてはならなくなった。また、血液透析を導入すれば、最低でも週3回、4時間の透析をしなくてはならず、仕事のペースもかなり落とさなくてはならない。
引用元: 過渡期の沖縄人(上) 自己決定権強化の段階<佐藤優のウチナー評論> – 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト
とあり、次いで直近(1月22日)の投稿には、
私事で恐縮だが、筆者の病状について伝えたい。肺炎は治った(コロナではなかった)。血液透析は軌道に乗っている。ただし、透析を始めると継続的に不整脈が出るようになったので心臓手術(アブレーション)が必要になった。手術の時期はこれから決めることにして、20日に退院した。入院中、「琉球新報」の読者から激励の電話、手紙、メールをたくさんいただいた。どうもありがとうございます。これからは、週3回、4時間の透析、前立腺がんと心臓病の手術が控えているが乗り切って、腎臓移植につなげていきたいと思っている。
引用元: 名護の将来のために 名桜大の一層強化を<佐藤優のウチナー評論> – 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト
とあります。
現在の日本のみならず、世界で起こる現象を外務官僚的な視点で伝えてくれた佐藤さん。
緊迫化するウクライナ情勢をはじめ、コロナのパンデミックなどにより世界が不安定化する現在、佐藤さんの発信力は僕らのまだまだ不足する「考える力」には欠かせません。
どうかご自愛ください。