富岡製糸場の来場者数が減ったのは、あったものがないから

今朝、こんな記事を目にした。
富岡製糸場の入場者が減少し、採算ベースを下回っているのだとか。

 だが、富岡製糸場が明らかにしている入場者数の推移を見ると、世界遺産登録となった2014年度がピークで約133万7千人。この年は敷地が人で溢れるほどだったが、以降、右肩下がりで、コロナ禍で20年度には17万人台にまで落ち込んでしまう。その後は盛り返しており、23年度は37万人程度になりそうだ。それでも、施設の維持保全のためには足りないのだという。

「製糸場の運営は国や県の補助金と、見学料収入、お土産品の売り上げなどで賄われています。採算ラインといえるのは45万~50万人でしょうか」(同)  

何とかあと10万人ほど増やそうと、今回、無料キャンペーンに踏み切ったわけだが、もちろん、それで収入が劇的に増えるわけではない。

引用元: 富岡製糸場がピンチで「入場無料」? 「入場者が激減し、採算ラインを下回っている」(デイリー新潮) – Yahoo!ニュース

僕も2017年に足を運んだが、施設のほとんどが立入禁止で建物の外から当時の面影を知るほかはなかった。
工事をしている施設は永く保全するための補修であることは重々承知だけれど、日本を支えた絹産業の労働の現場を知るには、内容が充足しているとはいえない。
入場料1,000円の割には中身のない場所だったと、喪失感を抱いたことは今でも覚えている。

僕が思うに、富岡製糸場に何が足りないのかといえば、

  • 労働の現場ゆえの労働者の息づかい
  • 労働の現場に身を置く労働者の暮らしぶり

などがない。

つまりは「ひと」を通した、労働のための施設が動いていた往時のリアル感に乏しいのだ。
本来は多人数を抱えるためのハコだったのが、役割を終えて隙間が増えてしまう。
僕らはそんな空隙に「寂しさ」を覚える。
例えるのなら、郊外に住む人々の暮らしを支えてきたデパートが、いまや利用者も少なく寂れてしまい、建物だけが賑やかだった頃を覚えている…。
そんな生暖かい「暗さ」を、富岡製糸場に感じる。

むろん僕ら観光客はそれらを折り込んで足を運ぶのに、建物や機械があるだけで、過去の風景を感じられるパーツを根こそぎ仕舞い込んでしまった。
さらには老朽化のためか、「生活」に重きを置いた施設は悉く立入禁止だった。
「世界遺産」という大看板を掲げたは良いものの、世界遺産たる所以の「労働者」「生活者」の記憶をほとんど拭い去り、キレイにしてしまった部分に違和感を感じたのだ。

建物はあるけれど、何もない。
周辺地域には養蚕で栄えた集落や、そのための古民家が残る地域もあり、観光資源はまだ残っている。
だが名目である「富岡製糸場と絹産業遺産群」とはいえ、地域とのつながりを感じさせるものもあまりなかった。
人の手を経て成り立っていた産業なのに、人の「動き」がない観光地。
そりゃあ寂れるわな…と思う。

この記事を書いた人

名無しのユータ

「読書が趣味」という訳ではないし、遅読で読解力も低い。けれど、読書を続けることでモノを考える力がやっと人並みに得られると感じ、なるべく毎日、本を紐解いている。
趣味はランニング、植物栽培など。