書くことから離れたら文章を書けなくなった

過去に自分が運営していたブログを見て驚いた。
なんて文章がウマいんだ!…と(笑)。

コロナ禍がはじまってしばらくのあいだ、僕はブログやライティングなど、文章を書く仕事や作業から距離を置いていた。
マイナス思考の僕は文字を連ねることによって思いがますます強くなり、さらなるマイナス思考に陥る傾向がある。
それが日常生活にも影響を及ぼし、常にストレスを抱えていた。
言葉には言霊が宿るともいうが、ネガティブな思考は現実的にもネガティブな結末に終わる…可能性が高いのだ。
とくに自らが関わる農業に関する文章も書いていたため、現実と相反する「ウソ」に近いことは書けないし、書きたくもなかった。
それがわだかまりを生んでいた。

ゆえに2021年からは、このブログ以外にほとんど手を付けていない。

だからだろう。
その分、文章能力は落ちた。

退職後、以前にも関わりのあった業務をお手伝いさせてもらうことになったが、自分の文章の書けなさ加減に驚いた。

  • 構成がめちゃくちゃで右往左往
  • ボキャブラリーが少ないくせに冗長
  • テンポが悪い
  • 締めの言葉がいつも同じ

極めつけは

  • 自分が何を書いているのか纏まらない

というありさま。
これじゃ、読み手どころか、自分が読むのでさえ時間の無駄、労力の無駄だ。

とはいえ不思議なもので、そんな状態から少しずつ、文章を書くことの覚えが戻りつつある…と勝手に思っている。
試行錯誤の末、文章のパターンや拵えてきた隠し札が臨機応変に取り出せるようになってきた。
しばらく乗らなかった自転車のように乗ればなんとかなるのだろう。
そう、書けばなんとかなっているし、書かねば何ともならない。
今後は少しずつ、書くことの負荷を(わりとポジティブに)上げていこう。

いまに思う。
ピークのときには書いても書いても書ききれなかったのは、なぜ…?
ものを書くという行為は、わりと自分の興味関心が深い場所にまで及び、心身ともに安定していないとうまく量をこなせない。
一種の躁状態であったようにも感じる。
そんなノリを発火できたのは、コロナの閉塞感や地方の誰とも交流のない孤独感がそうさせていたのかもしれない。
あの状況にはもう、戻りたくはないけれど。

この記事を書いた人

名無しのユータ

「読書が趣味」という訳ではないし、遅読で読解力も低い。けれど、読書を続けることでモノを考える力がやっと人並みに得られると感じ、なるべく毎日、本を紐解いている。
趣味はランニング、植物栽培など。