この本を書店で見つけたとき、僕は単なる「ユーチューバー本」かと思いました。
「ユーチューバー本」とは何かというと、Youtubeをはじめてお金を稼ごう!とか、こんなYoutuberがいるから応援しよう!とか、Youtubeに興味のある界隈に向けての本かと思っていました。
けれど中身を読んでみると全然違った…(笑)。
ネットの世界が現実の世界に接近してくる
岡田斗司夫さんは現在、Youtubeもやってる
この本に書かれているのは、著者の岡田斗司夫さんがニコ生(ニコニコ生放送)で語ったことを編集したもの。
いまや岡田さんは、Youtubeにも動画を上げてファンの裾野を広げています。
それを踏まえてこの本を読むと、Youtubeでビジネスを展開するうえで、岡田さんが今後、不安に思っていることを列挙したのかな?と思うのです。
次のビジネス展開の土台の、何がどう変化していくのかを岡田さんは思考実験していて、その一端を僕らが垣間見ている(読んでいる)だけなのかもしれない…と。
読んでどう考え、どう行動に移すかは、読者や視聴者次第であって、僕らが未来に向けて考えるための材料を提供してくれているのでしょう。
しかも初版が2018年の書籍なのですが、コロナ禍を経過したいまも、まったく色褪せてはいません。
バーチャルユーチューバーの中身
この本で面白かったのは、Youtuberが消滅する要因は、人間よりもAIのほうが面白いコンテンツを作り出せてしまう…という着眼点。
パーチャルユーチューバーは、その先駆けでしょう。 配信者の動きや表情に、CGで作ら れたキャラクターをかぶせて動かすのがバーチャルユーチューバー。 美少女の外見をしたバーチャルユーチューバーであっても、「中の人」はおっさんだったりします。
引用元:ユーチューバーが消滅する未来 2028年の世界を見抜く (PHP新書) p.78
一昔前だったら、おっさんが美少女を演じているというのがバレたら、ファンは引いたと思うんです。 だけど、ライブ配信中の事故で、バーチャルユーチューバーの「中の人」が画面に出てしまったりしても、みんなそれを面白がるようになっています。 現実を「盛る」 こ とにみんな慣れ始めているのです。
ここで岡田さんの言う「盛る」とは、現実よりも仮想空間での見せ方に強く執着することを言います。
その傾向はデジタルネイティブの世代で顕著だとし、現実よりもバーチャルで「かわいく」「格好良く」あることを重視している。
そもそも、社会(現実)が変わらないのならバーチャルで理想の人間でいることの方にウェイトが移るだろう、と岡田さんは指摘しているのです。
そして、そのような消費動向は今後も変わることがないだろうと…。
そう考えたとき、ふと頭に浮かんだのは、昨年にヒットした「竜とそばかすの姫」という映画。
ここでは「U」という仮想空間に主人公の少女が入り込み、彼女の高い歌唱力によって仮想空間内で存在感を示していく。
自然豊かな高知の田舎に住む17歳の女子高校生・内藤鈴(すず)は、幼い頃に母を事故で亡くし、父と二人暮らし。 母と一緒に歌うことが何よりも大好きだったすずは、その死をきっかけに歌うことができなくなっていた。
曲を作ることだけが生きる糧となっていたある日、親友に誘われ、全世界で50億人以上が集うインターネット上の仮想世界<U(ユー)>に参加することに。<U>では、「As(アズ)」と呼ばれる自分の分身を作り、まったく別の人生を生きることができる。歌えないはずのすずだったが、「ベル」と名付けたAsとしては自然と歌うことができた。ベルの歌は瞬く間に話題となり、歌姫として世界中の人気者になっていく。
引用元: ストーリー |「竜とそばかすの姫」公式サイト
ところが現実での主人公は冴えない女子高生。
2つの世界を行き来することによって紡がれる物語のなかで、「ネットの世界が現実の世界へ接近してくる」ということに僕は強く共感したのです。
2つの空間が別々に存在するのではなく、「時間軸」という共通のパラダイムを維持したまま、現実と仮想とが共存していく。
いうなれば、「竜とそばかすの姫」でも表現されていたように、現実も仮想も個別に認識するのではなく、どちらも同じ世界であるかのように、これからは仮想での重要性が格段に上がるのではないかと思うのです。
アンベイルは意味がなくなる?
物語では現実の素性を仮想空間内で暴かれることを「アンベイル」と表現され、それは仮想空間で「死」に値するかのよう描かれています。
僕はそれが一理あるとも思うし、少し違うとも思う。
なぜなら、歌のうまい少女が仮想空間のなかにいたとして、その正体は人間ではなく、ボーカロイドのような高度に組み立てられた「プログラム」かもしれないから。
そんな「ボット」のような人工知能と人間が共存したときに、制作者が生身の人間である必要性はあまりなく、生み出された作品、要するに「コンテンツ」が重視されると思う。
いずれ、機械が作ったものが「良い」とされ、人間が作ったものが「駄作」とされる。
だから蓋を開けてみたら機械だった…ということが起こったときに「アンベイル」する重要性が低くなると思うのです。
どうせ、人工知能でしょ?と。
では、そんな人工知能と「共生」する世界は楽しいものなのでしょうか?
まず考えられること。
それは、リアルで活躍できるような人間は、実はバーチャルでも活躍できる。
対人間同士の戦いでは存在感のある人間が勝っていくのであり、バーチャルの利用者が増えれば増えるほど、その傾向は強くなるはず。
身体的な制約は解かれても、精神的な構造は現実であろうが、バーチャルであろうが、変わりません。
性格や考え方は、どんな世界にあっても同じように作用するものです。
「竜とそばかすの姫」では、登場するアカウントのほとんどすべてが恐らく「現在もなお生きている人間」であって、AIなどの「人間のように振る舞う人工知能」的な人物はほとんど描かれていません。
ゆえに登場人物の誰もに人間味があって、「アンベイル」されることを恐れている。
そんな世界に無敵な人工知能が介入してきたら、もしかすると非常につまらない世界になるのではないかとも思うのです。
注目されるのはどうせ、人工知能なのですから。
さらに注目されるアカウントをアンベイルをしたとて他の誰でもない、人工知能だと言うことは十二分に考えられます。
これは本書で岡田さんが冒頭に述べられていた未来予測の三大法則のうち「中間はいらない」…つまり、超メジャーな能力や個性を持った企業や人が生き残る、ということに通じるのではないでしょうか。
あらゆるSNSの初期は和やかだったのに、気が付けば能力の高い人にフォロワーが寡占されていく…という構造にも似ているかもしれません。
結局は「リアルでも名の知れた有名人」と「人工知能」が最後には生き残る…。
そんな世界を僕は想像してしまいます。
「古塔つみ」さんのコンテンツ処理能力
そんなことを考えていたら、現在、ネットを賑わせている「古塔つみ」さんの問題も相通ずるものがあります。
古塔さんのイラストが、実はネット上に転がっていたあらゆる画像の組み合わせで作られていた疑惑が浮上しているのです。
しかも人間の手によって描かれているかのような画風ですが、実は画像編集ソフトによって出力されている可能性があるとか、ないとか…。
機械の性能が上がれば上がるほど、むしろ人間のマニュファクチュア感すら漂わせることができるようになる。
人間の視覚では判断できないくらい、自然な「ノイズ感」を機械が生み出すことができている(らしい)のです。
もしもそこに「古塔つみ」という人間が介在せずに、自動的にオンラインから画像を抽出し、人間の感性に引っかかるようなイラストを出力できるようになったとき、僕らはそれを「盗作」と呼べるのでしょうか。
そして岡田さんはYoutubeについて、AIユーチューバーが1日24時間365日、動画を配信できるようになるだろうとしたうえで、次のように説いています。
コンテンツ産業において今後重要になってくるのは、「さっき生まれたばかりのコンテンツ」をいかに効率よく配信するかということなんです。
引用元:ユーチューバーが消滅する未来 2028年の世界を見抜く (PHP新書) p.83
先に、動画配信サービスは一強体制にはならないと言ったのは、そういうことです。過去のコンテンツを囲い込んだところで、視聴者を獲得する上ではあまり意味がない。それよりは、次から次へと新しいコンテンツを生み出し、配信できるサービスに人が引き寄せられていくことになるはずです。 究極的には、僕はそれがAIユーチューバーによる仮想世界実況だと思っているんですけど。
人間が飽きることがないくらい、大量の「コンテンツ」をリアルタイムで配信できること。
それこそが今後の「コンテンツ」に求められるものである…かもしれない。
そう考えると、古塔つみさんが画像編集ソフトを使用してでも、大量に、かつ短時間で作品を制作することは、現代のコンテンツ消費の時代の中にあって、手法としては間違いではなかった。
けれど、「人間として」の倫理において、問われるべき問題がある。
じゃあ、「機械」ならば誰がその責任を負うのだろう?というのが今後、議論になってくると僕は思います。
あの名言を思い出す
そうそう。
古塔つみさんの騒動で驚いたのは、「古塔つみ」さんが男性ではないか?という新たな疑惑です…。
これからは「アンベイルされたけど、だから何?」が常識化すると僕は思うのですが、古塔さんの件については、ちょっとニュアンスが変わってきました。
岡田さんの言う「バーチャルユーチューバー、中身はおっさん」と共通してはいるけれど、女性のフリ(ネカマ)をして少女の画像を集めていたというのは、単なる盗作騒動として片づけられないものがあります。
引退してしまった斎藤佑樹さんが、大学野球で活躍している時代の名言を思い起こさせます。
古塔さん、「盛ってる」なぁ。